カテゴリ:思い出の数々
昔まだ私が子供の頃、オフクロはイワシをたくさん買い込み、塩をタップリいれて漬け込み、
食事のおかずにこれがよく出た。 焼くと塩柱が立つほどで、とても塩辛く、これがあれば他のおかずなどなくとも十分だった。 でも今になって考えると、こういう塩辛い物を食べていたので、結婚して妻の料理が甘口で、さいしょはなかなか馴染めなかった。 でも長い間にすこしづつ馴らさせれ、いまはあまり塩辛い物はかえって敬遠するまでになった。 健康面からも塩分控えめが良いと言われている現在、こういう塩辛いイワシはもう食べられない。 さて、イワシにまつわる話しをいくつか。 イワシの語源はいろいろ諸説があるので、どれが正しいかは不明。 (1)陸に揚げるとすくに弱ってしまう魚であることから、「よわし」→「いわし」と変化した。 この説は有力ではあるが、「ヨ」が「イ」へと変わる転訛の例が他にない点では否定的に見られる。 でも、漢字は(鰯)と書き、魚編に弱という字だから、弱い魚であったことは間違いないようだ。 (2)身分の低い(卑しい)人々の食べ物であったことから、「いやし」→「いわし」という説。 平安の昔、かの有名は紫式部はイワシが大好物だったそうである。当時の上流社会はイワシはイヤラシい魚と軽んじていた。紫式部のこの行為を見るに見かねてたしなめたところ、そこは才女の紫式部のこと「日の本に はやらせたまふ 石清水(いわしみず) まいらぬ人は あらじとぞ思う」と歌ったという。 この意味は「石清水八幡宮にイワシをかけて、その八幡宮にだれもがお参りするように、イワシを食べない人はないでしょう」という。 さすがにこの歌を返されて参ってしまったとのことである。 「鰯の頭も信心から」ということわざもある。 他人から見ればつまらないような物でも、それを信仰している人にとっては大事なものであるという意味らしいが、あまり信じ込む対象が怪しいものは、敬遠した方がよいと私は思う。 もっとも、あまり信心ごころがない者がこんなことを言っても、説得性はないだろうが。 今日はちょっといつもと違う観点から、一言書かせてもらいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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