カテゴリ:人生を考える
昔「じっと我慢の子であった」というCMがあった。
調べたら1973年の「ボンカレー」の宣伝だった。 今から36年も前のこと。「お歳が知れますな~」と笑われそう。 今の時期、この未曾有の大不況の波にさらされている人たちが大勢いらっしゃる。 そういう人たちは「今はじっと我慢して耐えて、ひたすら景気の好転するのを待つしかない」とおっしゃる。 そう、今年は「我慢の年」と言ってもよさそうだ。 政府は景気刺激策を予算案に盛り込んで次々と打ち出し発表している。 ホントの景気上昇に結びついてくれればいのだが、選挙目当てのばらまきであっては困る。 巷ではこれで景気は下げ止まりとなり今度は上向きに転じるのではないかという期待が持たれているが、はたしてどうなることか? それにしても、最近は何かにつけて「我慢、我慢」の連続だ。 この「我慢」という言葉は言うまでもなく「耐え忍ぶ」ということで、いい意味に使われているが、誰も不思議に思わない。 でも語源を尋ねると、必ずしも好まし意味の言葉ではないのである。 古い仏典に、おごりたかぶる心に七種類有り。それを「七慢」というと。 その4番目に「我慢」があり、「己をたのんで心のおごる煩悩」という意味。 この他に「増上慢」という仏法を勉強したことのある人にはすぐ理解出来る言葉もある。 今昔物語では「衆生・・・冥初ヨリ我慢を発(おこ)ス。我慢ヨリ痴心(ちしん=愚かな心)ヲ生ズ」とさえ説かれ、あまりいいことに使われてはいない。 今は、自分自身を抑制し、また耐えるという意味あいで「我慢する」などと使われ、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世になってから転義して言われるようになったとされている。 あまり我慢が過ぎると、ストレスの原因にもなると言われている。 過ぎたる我慢は止めて、「ケ・セラセラ(成るように成る)」くらいの大胆な無責任さが必要かもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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