テーマ:子育て支援について(18)
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何かをしようとするとき、
用意が整っていて、ある目的にむかってきっちり行なうこと。 そして それゆえに見えてくる成果、というものがあるのだろうと思います。 が、 どうしても私が引っかかってしまうことは それをやっている主体が人間だということ。 完璧ではない、人間がやっているということを忘れたくない。 「マニュアルはないんですか?」 とたずねた、ある人。 活動の中に、基準となる「マニュアル」があればうごきやすいでしょう。 「マニュアルにある」からやるべきで 「マニュアルにない」からやる必要はない…。 人に対することって、そういうもので綴りきれないものが ありはしないでしょうか。 だからといって 「言葉にできないのよね」などとうやむやにしてしまうのも 何か違うような気もするけれど。 *** たぶん、私の性分なのだろうと思うのですが なんというか こう、隙間だらけの「ゆるさ」にとても魅力を感じてしまうのです。 ゆるさの中に、よくよくみると、芯になるものが見える。 それは本質的には曲げたくない。こだわりみたいなもの。 人は間違うし、失敗もする。 そしてそれを繰り返すこともある。 他人には言えなかったり見せられなかったりすることもある。 それはある意味、当然かな、とも…。 不完全な自分が、実は私は気に入っているし、 不完全ないろんな人と関わりながら、悩みながら でも 一生懸命歩いている、歩こうとしている人と共に 歩いてみたい。と 立派なことができることもすばらしいけれど、 すっかり隙のない すばらしさ、に違和感を感じてしまう。 ダメな自分もダメな誰かも 「あり」でいたい。 そう思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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