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昨日は、松田聖子さんのドキュメントが放送されていました。
彼女のファンは、実に9割が30代・40代の女性だそうです。 その生き方に共感し、憧れる。元気をもらう。 激しいバッシングの中、自分のしたいことをし続けてきた。 子どもを産んで「アイドル」でいるのは初めての方なんだそうです。 妻でもなく母でもなく嫁でもなく。 そういえば、妻でも母でも嫁でも、他からの体裁があって 「じゃあ、このくらいのことはしなくてはいけないかな」 とうごくシーンも多いのかもしれない。 誰かがいるから存在が見える自分のほかに 私という一個人として、存在するということを気づく機会が 大事だなあと思いました。 以前、NPOのある会員さんが、活動していてよかったことは 「○○さんちのお嫁さんとか、△△君のお母さん、という見方でなく 接してもらえる場所ということ」 とおっしゃっていました。 すべての肩書きをはずしたときに、何が残るか? 人は自分の思いから行動して初めて、生きている実感をもつのでは? しかしながら、ままならない状況でも生きていかなくてはいけなくて それを受けいれる強さもときには必要で。 バッシング被害者、と悲しい顔をするのではなく 「でも私はこれがしたいから」と前を向いて歩いていく、そんな姿に 感動する人が多いのかもしれない。 娘のさやかさんのコメントの中に、 「私は何も足りないと思ったことはない」 さやかさんが小さい頃、預けて渡米した聖子さんに、世間は 強いバッシングを送ったとか。 それを母である聖子さんが 「わが子にひどいことをしてしまった、いけないことをした」 と思ったとしたら、きっとさやかさんも 「お母さんは私にひどいことをしたんだ」 と思うんじゃないかな?と・・・ 堂々と、信念を持って、誰かにお願いをし、託し、自分の道を歩いた (少なくとも、誰かのせいで何かができなかった、なんてことは 言わなかった) その行動を、娘であるさやかさんも、認めているんじゃないかと。。。 「だんながこうだから~○○できないし」 「子どもがこうだから~」「姑さんがこうだから~」 誰かのせいにするのは簡単でそれは責任回避をしているなあと 最近はつくづく、思うのです。 やましいと思う気持ちや空気を子どもは親のしらないところで 感じ取っている。 自分の責任、という潔い選択を自信をもってするために 必要なものは何でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.10 08:40:23
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