カテゴリ:私のこと
先日、「こんにちは 赤ちゃん」訪問ということで、
市の母子保健センターより 看護師の方がうちにこられた。 今年度から、市の事業として行われているのを聞いていて。 同い年の赤ちゃんのいるご近所さんの話も、 「午後みえるっていっても、12:30~16:30の間の30分、と いわれても、いつごろか分からなくて、結構困る」 というのを聞いてはいたのですが。 うちの場合もしかり。 ちょうど、おっぱいの時間がおわり、寝て5分も立たないうちに いらっしゃって。 来られてすぐ、「体重を量ります」とのこと… 「え、今寝たのに…」 「ごめんなさいね、洋服もおむつも取ってもらいたいです」 「・・・」 体重をはかるのが必須なのでしょう。 それはわかるのだけれど…。 いきなりおこされて、なく子を抱きながら、 その後は *体重の増え具合の確認 *母親の産後の異常はないか? *困ったとき、頼れる人はいるか? *簡単なアンケート 等等、お話をして帰られました。 そこで感じたこと 「困ったとき、頼れる人はいるか?」 →こう聞かれて、「いません」という人はあまり、 いないんじゃないでしょうか。 「頼れる人がいるかどうか」という意味を考えると、 たとえば「困ったときはいつでも言ってちょうだいね」 と言ってくれる人がいる にはいる。 けれど、「頼めない」(頼みにくい)という場合も あるということ。 =「頼れる人がいる」とは、些細なことでも気兼ねなく 「お願いできる人がいる」という意味だとすると 重病でもしないかぎりお願いできないような人の場合は 「頼れる人がいる」には入らないんじゃないだろうか。 むしろ、この問題は、「サポートしてくれる人がいるかいないか」 という存在というよりも、その存在があったとしても 母親サイドで「頼ることができるか」という部分も大いにあって、 それは母親となった女性の問題とも言えるのではないかと 思う。(←じゃあ、気軽に頼めばいいのに、の一言では 片付かない部分もある) *** 「アンケート」 の中には、 1.子育てがつらい(苦痛)と感じる 2.過去に、精神的・心療内科的な(病院の)科にかかったことがある という項目があり、(他にもいくつかありましたが) これも、1.2.とも当てはまる人が、必ずしも 「ハイ」に○をつけるかというと、そうとも言えない確率が 高くはないだろうか。と思ってしまいました。 子育てが苦痛、と感じる人の中には、 まじめになりすぎて、「ちゃんと子育てしなくちゃ」と 気張っている人も多いような気がする。 (だからこそ、苦痛と思ってしまうこともある。 どうでもよければ、悩まないのでは) そういう人が、こういうアンケートで「苦痛だ」と 吐露するだろうか? 2.も、しかりで、そうだったとしても○はつけないのでは。 このアンケートのいろいろに、自分の苦しさを認めて ○をつける(自分の氏名を書いて、○をつけたこの書類は お役所にいくんですから…) ことができる人は、ある程度オープンにヘルプを出せる 人なんだと思う。 初めてうちに来た「看護師」さんに対して、そこまでの 表現ができる人もいるかもしれないが、 本当に困難の中にいる人にはとうてい、○はつけられないことも 多いだろうなあ、と思う。 それに 「これに○つけちゃったら、要注意母、みたいに チェックされるんだろうなあ。で、定期的に、また チェックが入るのかな」 なんて思うことも。(正直、私はそう思っちゃいました) 子どもをチェックするのか? 母親をチェックするのか?(したいのか?) イギリスでの「ホームスタート」のイメージを 持っているからいけないのかもしれないけど、 別に「育児相談」とか「アドバイス」とか言わなくても ただ、母親に寄り添って話を聞いてくれるだけで、 またちょっとした そこらの用事のヘルプをしてくれる という存在だけで(というかそちらの方が重要) ずいぶん違うような気がする。 国はこれにいくらの予算を割いているんだろう?などと 思うと、少し残念な気がしてしまう。 *** 形骸的なことでなく、 本当に産後に困ったことに直面している母親に 向き合い、支援をするというのは、もう少し やり方があるんじゃないかな、と思ってしまった 出来事でした。(難しいかもしれないけど) 批判ではなく、反面教師的に考えると 自分たちの事業も「しなくてはいけない事業は形骸化してしまう」 そうなってしまわないように…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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