カテゴリ:カテゴリ未分類
小さい子との生活の中で、
たまには子どもを誰かに託したい。 (預けなければならない) というとき、実家の親に頼むのが気楽、という人が 案外多いのかもしれません。 (もちろん、実家が頼みにくい人もいるでしょう) 「預けなければならない」理由というのも、 母親が入院するとか、本当に、あれこれ言っていられないような 事態なら、誰も、あーだこーだと言うこともないのでしょうが そうでない場合、 基本は「母親がみれば、面倒はないのに」 ということになりがちではないかと感じます。 確かに日頃、一緒に過ごしている人や場所でいるのが 子どもにとっても安心感のあるものであることに 間違いはないのでしょうが…。 *** いつも複数の大人に囲まれて、 母親自身が なにかごとのときには、その大人の一人に 「ごめん、今日、ちょっとあずかって」 と言える状況があるならば、日々の不安は、軽減するのかもしれない とも思います。 でもなかなか、そういう関係が築けないことも あるでしょうし、そういったときに、 いざというときには、頼りになるという場所が やっぱり必要。 頻繁に利用することもないだろうけれど、 「でも、何かの時にはお願いできる」 保険みたいなもの。 仕事をもっている人の場合は、有無も言わせず そういう支援は不可欠で、確保することが 絶対条件なのでしょうが、 かといって家庭で子育てしている人は、 そんな必要ないかといえば、やっぱり必要な時はあるだろうと 思う。 物理的に、無理というとき以外にも つらい、というのは、メンタル的にもやってくることがある。 そういうときにも 偏見を持たず、「いいよ、どうぞ」と声をかけてもらえるような 空気で見守ってくれる支援者。 だって…そういうときって 「あの人、仕事してないんでしょ」 「育児ノイローゼなんじゃない?」 「何の用事で預けるのかしら?わざわざ人に 預けるほどの用ってわけでもないら~」 なあんていわれやしないか、考えてしまうことも あるんじゃないかなと。 …日頃は自分が見ている子を、誰かに託すというのは おもったより簡単なことではないと思う。 簡単そうに置いていく人もいるかもしれないけど 本当はそうでもない、ということを忘れないでいたい。 わが子がかわいいのは誰しも、同じなんだから…。 心やからだがつかれているときは、 いろいろな行動や判断が、通常通りにならないことだって ある。小さい子の子育て中って、そういうときも あるんじゃないかと思う。 批判じゃなくて 「たまには一息して」 って、気持ちを受け入れてもらえるだけで 「ああ、がんばろう」って自分の中から、力が 湧いてくる(=エンパワメント) ものではないでしょうか。 一般常識や、理想の母親像が脳裏にちらちらとするのが 常だと思う(とくに母親という立場の人に対しては。) でも そうじゃなくて いったん受けれてくれて 本当に誰かの手が必要なんだったら それを一緒に考えてくれる そういう存在って、必要な時があるなあって 思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.10.01 10:52:59
コメント(0) | コメントを書く |
|