カテゴリ:ちょっと考えたこと
ここ数年の出来事では
初めてであったこと、体験したことなどありました。 楽しくもあり、厳しくもあり、うまく言えないのですが それでも、自分は何とか向き合ってきたなあと思うのです。 人は感情のある生きものです。 自分の願望がある。気持ちがある。心がある。 近くにいる人が、必ずしもそれらを自動的にくみ取ってくれる保障はなく かといって それが叶わないから誰かが悪いというわけでもなく なんというか、うまくかみ合わない。 かみ合う会話…。そんなものを望んでいたのかもしれません。 「何の不満があるの?」 って仮に聞かれたら、不満、なんて口に出してはいけないような 口には出せないものなのだと思います。 いけない、わけではなくても「だからと言って口に出してどうなる?」 レベルのはなしだったら?…もう口にしなくなるし 嫌な思いをするだけ、エネルギーの無駄遣い? ちょっとした、あきらめ? *** ふとした瞬間に、ちょっとかみ合う会話ができる人がいたとしても それは、 対等な関係でないから成り立っている。という場合もある。 そうではなくて… 利害関係とか関係なくて…かみあう会話がしたい、と思っていました。 でも、それは叶う場合と叶わない場合がある。理由はいろいろで。 そういう強い気持ちと現実とのギャップは、なかなか厳しいものでした。 でも自分はおそらく、そこを押し通すことができなかった、 というか 押し通すデメリット(そうした場合、不快になったり不幸になったりする人がいるかもしれない等) を考えながら、自分の立ち回り方を決めてきたのだと思う。 というか、最後は…自分の意志、とかではなかったのかもしれないけれど それがすべての答え、となってしまって。 いろいろ、悔しいような残念なような、 かといって、自分がなにがなし得たか?なんて分からない。 自分が望むものが手に入ったか? そんな保障はない、決してない。 私が、自分の都合のよいように考え、解釈していただけなのかもしれないし。 人はそれぞれの生活がある。 それぞれ自分を守っている。 …そこに、他人である私が立ち入ることが仮にあったとして、 その人が幸せになるだろうか? そんな保障は、何もない。 みんな、自分の生活を守っているのだ、と。 *** でも何か、どこか、そういうちょっとした共通の接点で打ち解けて なあんだ、すごく私たち似てるね!って盛り上がったり、 楽しい展開があったら!(よかったのに。笑) そんなことができるかどうかも、本当に、 ご縁というかタイミングと言うか、いろいろ、いろいろ… きっと、タイミングが、、、っていうのもあるかもしれないし どこか私が、勝手に「わかった気になって」いたのかもしれない。 関わった時期や回数がどうであれ、私が誰かの何をどこまで知っているというのだろう? そう思うと 私はこう思う、からあの人もこう思っている、っていう思い込みは もはや妄想でしかない。 だから、天の声? 妄想だよ。 そろそろ、気付きなさい。 ってことだったのかもしれない。 *** たぶん形的には、「またお会いしましょう」という声をかけてくれることが あるかもしれない、そういう人がいるかもしれない。 でも、どうなのかな。 きっとご縁があれば、何かしら、どこかしらで対面できる日が来るでしょう。 ご縁がなければ、その接点を、神様がおつくりにならないのでしょう。 ときどき、「ああ、このご縁は」と勘違いしてしまうことがあります。 言い方を変えれば「依存」とか言うのかも。 きっと自分を理解してくれて、気が合う人。みたいに思う。 そうかどうかも分からないのに。 相手が合わせてくれているだけ、ってことも一般的にはあることなのに。 *** ここ数年で、あらためて考えました。 なれあいの人なら、私の立場とか、いろんなことを知っているけれど そうでない人にはなんていうの? 「○○君のお母さん」だったり 「○○さんの奥さん」だったり 「○○団体の何役さん」だったり それ以外に、なんて言う? 自分は何者なのか。 それと向き合う時間を今はもらっているのだと思う。 ときどき、ぽっと爆発して、堰を切ったように話が止まらなくなって 思いが止まらなくなって、どうしようもなくなりそうになるのだけど 「暴発」はしなかった。 何らかのブレーキが効いたんだと思うし、それは良かったと思う。 もちろん周りの人のお力もあったのだと思うのですが。 実態のない肩書きとか 人をかさにきた立場とか そんなんじゃなくて 「私ってこんななの」 って、言えるチャンスがあればいいなと思う。 たぶん、もうやってこないかな?笑 接点がなくなってしまった。。。 そういう対面する機会を作るのって、簡単そうで簡単じゃない。 ちょっとした思い切りが要ると思うから。 だって、人は意思があるし、片方の意思だけでは実現しないのですよね対話って。 でもとにかく、よかったんだと思う。 自分の今をまずは生きることに向き合えていることが よかった、はず。 そして、万が一私の妄想が、「やっぱりこうだったよ!」って 声をかけてもらえるようなことが ほーーーんとうに万が一、中の万が一、な話だけど あったとしたら、それはそれで。 とても楽しい、幸せな時間を過ごせるのかもしれないと。 少しだけ、ほんの少しだけ。ぼんやりと思ってしまうこともなくはない。のですが。 とりとめないことですが、これは記しておきたかったので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.09.19 23:39:25
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