カテゴリ:ちょっと考えたこと
自分の願望がかなえられない時に、「不満」を抱えることがあります。
「どうしてこうならないのだろう」 「どうしてあの人はこう動いてくれないのだろう」 「どうして理解してもらえないのだろう」 自分と他人、という見方をしたときに、 自分と他人は別で、違うのが当たり前。 違いを認める。相手を受け容れる。 口で言うのは簡単だし、 離れたところにいる人なら別に、考えていることが 自分と食い違おうが、関係ない。と 思うことができますが、いざ、近くにいる人のことになると 自分の気持ちが理解されない日々、というのは、 ストレスとなって溜まっていったりすることが多々あると思います。 *** 先日、会話をしていて気付いたことがありました。 ある物事について「困っている」「不満だ」という話です。 自分より目上の人が、自分勝手なことをする。 無理なことを言ってくる。 させられることに不満があり、 属しているところの人のなかにやめる人が出てきたりと 不具合がでている。 というような話なのですが、 実はその話は、以前から同じ話を聞いていて、 毎回、 「もうほんと嫌になった。困る。」 という言葉が発せられるのを聞いていたのですが。 なんとなく話を聞きながら、 ああ、これはもしかして私じゃないのか?(私が日頃感じていることと酷似している!) ということに気付きました。 *** 実はその話を聞きながら、私なりに一緒に考え、 「こうしたらどうだろう」というような意見を述べてみたりしたわけです。 自分だけで解決できないのなら、誰かの手を借りる。 誰かの手を借りるとしたらどういう方法が良いか? その次に帰ってくる言葉が 「でも…」 なんだか建設的じゃないんですね。 え、やってみたらいいのに? …でおもったのが 「ホントに解決したい気持ちある?」 ということでした。 *** たぶん。本人は、「自分は本気で解決したいから努力している」という 自覚があると思うし、そうしている面もあるとは思うのですが、 私の勝手な解釈かも知れませんが 「本当は解決したくないのかな」 …と思ったのです。 解決したら困る。 なぜ? なぜかわからないけど、解決したら困る。 解決したら困る理由がある。 おそらく これは私もまるでそうなので、かなり図星なところがあるのですが、 自分の願いがかなわない→じゃまする人(理解してくれない人)がいる →それに立ち向かっている自分 ここが、ポイントなのかなと思ったのです。 解決したら何が困る? 問題に立ち向かっている自分でいられなくなる。 問題に立ち向かっている自分がいなければ …自分とは何者かが…揺らぐ…?? なんてことはないのかな、と。 よく、「恋している自分に恋してる」みたいなフレーズが流行りましたが、 自分が保持したいのは 立ち向かっている自分 なのかもしれません。 …常に、立ち向かっている自分じゃなくても ぜんぜん、自分はアリなはずなのに、 そこを失ったら、自分じゃなくなる?なんて錯覚してないかなと。 だから、ぐっと意見をしたくなったときにちょっと 一呼吸置いて、 自分は本当は何がしたいのか? そのためにどう動くのが最善か? …誰かに愚痴るのもアリだし、聞いてもらうことがとても大事だとは思うのですが、 具体的に動く のは、冷静な判断が必要なこともある。 自分の、業務などに関係ない「承認欲求」から 身の回りのことに支障が出ていないか? ふと振り返る機会かなと思った次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.19 15:09:29
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