最近、週末になると疲れがどっと出るようになりました。
(というより、ずいぶん昔から?かも)
何故だろう、とずっと不思議だったのですが、ちょっと思い当たることがあったので
記しておこうと思います。
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「週末」いわゆる「土日」
は、
一般的に金曜日まで平日、というのに対し、休日 と言われます。
平日と休日の違い とは?
(ちなみに我が家の就労している人は土曜出勤なので、小学生がまるまる休みになります)
土曜日
・小学生が家にいる
・小学生に昼食を食べさせる
日曜日
・外からの用事がなければ基本フリー
上記のものについての共通項は
「外からの要因で過ごし方を決めるわけではない(決定的な外からの要因がない)」
ということかな、と思いました。
つまり、
平日は学校なり仕事なりがあり、(私は就労していませんが、そういうスケジュールの人に合わせた生活をしているのでそれに準拠する?パターンにはなりますが)
学校も仕事もその予定は「外的」に入ってくるものではないでしょうか。
つまり、その日の過ごし方、スケジュールについて
自分自身ではなく、外的に予定が決まってくる、というもの。
なので予定を伝えられ、そのように動く。
言い方を変えると、予定を自分で考えたり組み立てたり作ったりする必要がない
とも言えるのではないでしょうか。
指示をうけてそのようにする(持ち物、集合時間、帰宅時刻など)ということはあっても
それらは、自分自身が決めることばかりではなく、ほとんどが外的に決められることを守って生活をするという形式ではないかと思われます。
それに対して
土日などの休日と言われる日は
自分で物事を決めないといけない要素が入ってくる。
もちろん、習い事や仕事がある人はそちらの予定で過ぎていくのだとは思うのですが
外からの用事がなくフリーになった時、
「何をしてどういう過ごし方をするか自分で決める」
必要がでてきます。
※そうはいっても、家族の状況などからすべて自由に決められるとは限りません。
→条件付きで自分でコーディネイト
「自分で決める」は、案外エネルギーが要ります。
(実際は限られた条件の中で決めるが、誰かが決めてはくれないという前提)
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休みの日に、どこかへおでかけというパターンもままあります。
買い物だとか・・・その他。
お出かけもそもそも、自分で決めているのだとは思うのですが、
それも、実は場合によっては「外的提案による過ごし方」という意味では
オリジナルではないというか、ある意味
「現実逃避」的な要素を含んでいるのでは?と思ったりします。
つまり。。
平日:仕事、学校(外的要因で決まる)
休日:お出かけ(自分で決めるけど出先でのことは外的要因が多々ある)←現実逃避???
物事を自分で考えて決めたり、何かを作ったり、ということをしないと
代わりにそれを決めてくれる人がいたり作ってくれたりする人がいる。
(そのこと自体が悪いなどということはまったくもってないのですが)
それも、外的要因で自分の時間が埋められている
=現実逃避(そうしたい傾向がある)
つまり、自分で何かを決めて、家の中などを「自分の場として作る」ことを
避けている。
片付かない部屋を放置してイベントに出掛ける。
そのときの決まり文句は「たまには気分転換しないと。気分転換大事。」というもの。
今思えば、その「気分転換」とは、実生活に目を向けない、現実逃避としての「気分転換」だったのかもしれない。
いくら外で気分転換をしてきても、雑然とした家に帰宅したとたん、
さらに逃避したくなる現実が目の前に広がるのです。
逃げなくていい目の前の光景を作るのが、
もしかしたら週末に疲れない自分になる秘訣なのかも?
という気がしています。