カテゴリ:ちょっと考えたこと
「誰かのせいで自分は不幸になった(なっている)」
という思考は、そこここで目にしたり見聞きしたりします。 不幸、とまでは言及しなくても 文句というか 「あの人がこうなら、私はもっとこうなのに」等、ふつうに飛び交うセリフなのではないでしょうか。 *** 自分の不幸を誰かのせいにする、という行為は 同時に、自分が悲劇のヒロインになることを意味しています。 なぜなら、不幸になった自分をアピールしたとき、それを聞いた人は不幸になったと訴える人を悪者にはしません。 非難の矢を向けたりしないし、同情して気の毒だと関心を寄せてくれるのです。 実はそういったリアクションが(無意識にも)目的で、誰かのせいにする、が習慣の人がいるかもしれない。 *** 時やところを変えても被害者のポジションを手放さない人はいる。 なぜなら、手放してしまったらだれからも自分に同情や関心を得られなくなってしまう。 その課題が解決したら困るのです。 だから、誰からのアドバイスも聞かないし、私はかわいそう、の枠からでようとしない。 出てしまったら、自分のアイデンティティが崩れてしまう恐怖すらもっていたりするのではないかと…。 自分を かわいそうな自分 に据えるのは簡単かもしれないけれど、 誰かのせいにしていることは、非難の矛先を向けられている人が他にいるということです。 どちらが正しいかとか 答えがない場合もあるとは思う。 向き合ってほしくても不可能な場合もあるとは思うけれど それをせずに 誰かのせい、を誇示しつづけ かわいそうな自分を演出することで自分を保とうとする人が いるのかもしれないなと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.03.02 10:05:52
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