自分の価値、はどういうところで決まるのだろう?
自分が思春期のころ、自分が異性から好意をもたれる条件の一つに
「家庭的要素」
があると思っていたかもしれないことを思い出しました。
家庭的要素、とは、イメージからすると
家事(料理、掃除、その他 家の仕事もろもろ)など。
そういったもののスキルが高い人の方が、言い方はおかしいけれど
「価値が高い」
ように見られていたのではないか、少なくとも私自身は
そう感じているフシがあったように思います。
家庭的。
私が未成年のころから持っていた「家庭的」なポイントとは
・料理が上手
・家の片づけや掃除が上手
みたいなところでしょうか。その中でも特に、料理はわかりやすいというか
どういったスキルを持っているかで女性や主婦の価値が決まるかのような感覚を持っていたかもしれません。
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自宅でのパン作り、オーブン料理などは
昭和の食卓では目新しいものでもありました。
当然、そういう料理をする主婦はいたけれどそれは、趣味のように好きな人に限られていたかもしれません。また、経済的に余裕のある家庭でないと、そういうことはしなかったかもしれない。
女子が中高生にもなると「手作りお菓子」の交換みたいなことをする場面が出てきたりもするのですが、
ココでポイントなのは「手作り」。
手っ取り早い?手作りお菓子といえば「クッキー」「ケーキ」あたりでしょうか。
それが自宅で作れる(たとえ市販品の方が安くておいしかったとしても)ということが
一つの価値であったようにも思います。
しかしそれを作るには「オーブン」が必要だったりします。
あと、それらを作るレシピと技術と菓子作りに必要な道具。
(案外、深めのボールだとか泡だて器だとか、それ用っぽいものが要る)
まずそういう「ツールを持つ家庭」なのかどうかが問われたような気もする。
(経済的な部分も含めて)
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時代は昭和の話になるのかもしれませんが、
自宅で自分の母(いわゆる家庭の主婦)が、ケーキを焼いたりクッキーを焼いたり
できたりするのが、なんとなく友達にも自慢になるような時代だったと思います。
そして教えてもらったりして子どもである自分も、クッキーを作って友達にあげたり。
…でも、自宅に道具がない場合もありますが
なんというか家庭的、の素地が
「自宅でお母さんが作っている」「お母さんが手作りするような」
家庭、であることがポイントだったのかもしれません。
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たとえば
思春期の女子本人が、異性から自分はどのように見えているのだろう?
と考えることがあると思います。
私にはどういう価値があるのだろう。
そのときに、先の「家庭的」が頭に浮かんで、はたして家庭的とは
自ら家を整え料理をして家族やその他の人をもてなすような雰囲気でしょうか、
そういうものを持ち合わせているかどうか?
それが出来るか否かが、すなわち女子である自分自身の価値を決めるのではないか?
そう感じていた時期があったように思います。
自宅で菓子作りもパン作りもしない我が家の場合、
そういうスキルを持たない女子、の私には「家庭的要素がない」のだろうか。
だから、女子として価値がないのだろうか?
(本当はそんなことはないはずだけれど)
私が平成ひとけた時代に結婚した当時も、
「花嫁修業」「家事手伝い」なる言葉があったりしてつまり、結婚前の女性が
そういった家庭的なことを一通り出来るようにしておくものだというような風潮がまだまだ
あったように思います。
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「嫁が看護師なら、家族を介護してもらえるから便利ね」
「嫁が栄養士、調理しなら料理を美味しく作ってもらえるから便利ね」
「嫁が保育士だったら子育てをちゃんとしてくれそうだから便利ね」
女子の価値が家庭的かどうか否かで左右されるとしたら、
上記のようなことを、いわゆる「嫁にもらう」人が考えるからではないでしょうか。
(実際は、看護師だから介護してもらえて便利なわけでも、保育士だから自身の子育てで便利なわけでもないとは思うのですが)
あえて「便利ね」という書き方をしました。
「価値」とは
誰にとっての「価値」なのか。
子ども時代、家庭的であるかどうかが女子である自分の価値を左右すると
信じていたけれど、それは世の中の風潮から思わされていた面もあるのかもしれない。
今の時代となってみればそんな風にも思う今日この頃です。