カテゴリ:ちょっと考えたこと
私は過去に、とある団体で「ロバート議事法」というものにのっとって運営する 団体に関わったことがありました。 ものすごく詳しく学んだわけではないけれど、 人が大勢で何かをするときにどうすすめるのか?について 考えさせられる貴重な機会でした。 私たちの住む社会では、トップダウンだとか、とにかく上の人の言う通りにする のが当たり前で、権利は持っていてもフラットに意見を出すということについて 不可能だと思いこんでいたりします。 しかし、たとえば団体ならば、メンバーである以上、意見を出す権利があったりします。 その権利はもちろん、個人の利益のため だけに使うわけではないのが大前提だとは思うのですが とにかく、フラットに意見を述べる権利がある、ということが大事です。 そのためにはしかるべき手続きをとらなくてはなりません。 議題提案書を作成し、議論の場にのせるためのステップをふみます。 そんなの形式的? 形式的、というのは、マイナスな意味に使う人もいると思うのですが、 正当な手続きを踏むというのはとても大事だったりします。 手続きを踏んで、自分の考えを共有し、他の人の意見を含めた議論を行い 採択するかしないかを決める。 そのときの提案内容については、提案書にきちんと記さなければなりません。 提案書に基づいて、議論が行われるのです。 一般的には審議が必要な事柄は書面で表されることが多いです。 そうしないと不明瞭になる場合が多いし、特に数字などが載る場合は書面は必須です。 その書面にあることについて承認するかしないか。 審議には、「何を審議するのか」を明確にすることがとても重要です。 仮に議題提案書に間違いがあれば、それをたたき台にすることは出来なくなります。 (身近なものでは、微細なミスなどは訂正を了承した上で合意を得ることがあるとは思うのですが) 思えば私は9年間、そういう団体の活動にたずわわり、経験をしてきたのだと思いだしました。 たかが、言われたことを言われたようにやっただけでしょ? と思う人もいるかもしれない。 でも私が先輩から教わった上記のようなことは 一人一人が、自分の意見を大切に扱われる権利があって それがルール化されているということを表しています。 (そこが重要) 関わっている場所が、個人の利益のために行われているわけではない、 公益的、共益的活動だからこそ、 だれか個人の利益だけを考えた仕組みや活動ではないのだから いかに、冷静に合意をしながら進めるのか そのための議事法なのだと、当時もなるほど、と思った記憶があります。 形式、というのは、誰もがその権利があり手続きを踏める証明のようなもの。 *** 私は、結婚してから職も持っていませんから、世間のことを知らないと もし言われても、反論が出来ない部分もあるとは思うのですが 取り組んできた活動の中で、こういった仕組みを学ぶことができたのは 大きな自分の宝になったと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.09.11 06:42:23
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