カテゴリ:私のこと
関わって、20年ほど経つある団体の終結の話し合いに行ってきました。 その団体は自助グループといわれるもので、同じ悩みや問題を抱えた人が分かち合いや共感をもって安全な場所で 回復をめざすものです。 私は通常のメンバーから、会報の発送や印刷製本、問い合わせ窓口なども兼ねた連絡係などをさせてもらってきました。 地元でも、実際にミーティングのメンバーを募り、わかちあいの場を作ってきました。 延べだと多くの人が来てくれたと思います。 継続が難しくなり(きっとアナログツールでなくても匿名で分かち合いなどできるSNSなどもできたためか)この度、終結することとなりました。 会ったことがない仲間と対面して話し合いました。 電話や手紙、メールなどでは何年もやり取りしてきた「仲間」の人たち。 実際に会うのは初めてでしたが、なんだか初めてな気もしないし、不思議でした。 終結はたいへんだけど、いったんキリにすることが大事なこともあります。 生きづらさを抱えた母親たちのグループでした。 親や子どもとの関わり、自分自身の言葉で語ってきて、話を聞いてもらった体験はよそではなかなかできません。 カウンセリングや医療機関にいる人とは違う当事者どうしだからこそのよさを感じながら関わってきました。 終結となったけれど ここ出会った仲間は自分にとってかけがえのない人たちです。 上下関係ではなくフラットな関わりのなか、自分の言葉で語るという貴重な姿勢を学んだような気がします。 終結となると寂しさもありますが、 物事に一区切りつけることが次へのステップになると信じていたい気もします。 抱えるいきづらさは様々で、何に起因してどういう問題なのかは人それぞれだと思いますが、「自分のせいだ」と必要以上に抱え込むことなく、罪悪感やさまざまな肩の荷をおろし、手放して生きていけますように。 追記: ふと私自身の「後悔」みたいなことの一つが湧いてきて、 「ミーティングの中で、私がいたから人が集まるみたいなカリスマ性があったら継続したのかな」などと話したら「それは違うよ!カリスマがいて信者がいるみたいなのは違う」という一言。 ずっと自分が(勝手に)抱えていた思いを話せてほっとしたような。 そう、そんなはずはないのです、カリスマ性なんて。笑 でもずっと、自分は人が注目する「何者か」にならないといけないような感覚がなくもなかったなあと思っていたのかもしれません。少なくとも、ここでカリスマにはならなかったし、それが良いわけでもなかったんだなあと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.22 22:38:27
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