カテゴリ:ちょっと考えたこと
最近の経験というかパターンというか、今年はめずらしくこういうシーンに遭遇しました。 私が自分の頭で考えて、一般的にはこういうものだろう、ということが 通じないシーンがあったのです。 具体的にいうと ・締切を守る(守れないなら、あらかじめ必要な人に断る) ・自分がしたいことに他の人の同意が必要な場合は申し出る みたいなことでしょうか。 私が杓子定規、というよりは至極、当たり前のことばかりだとは思うのですが それが通じない、という場面がありました。 どちらも相手の共通項は、理屈はともかく 「批判をうけいれたくない」 という姿勢。 論理的に反論は返ってこないし、とにかく 「私を責めるな!」とキレる。というのが共通しているのです。 責めるな、といわれも、約束を守らない人には守ってほしいというし、 断りが必要なところで断らない人には、断ってほしい、という。 ただそれが、私が言うそれが「受け容れられない」から、 キレて聞き入れないという言動に出たのでしょう。 *** 私は果してそういうときに、どうしたか(するか)というと 淡々と、自分が伝えるべきと思うことを伝えます。 相手がキレるから(キレるのを見るのはあまり愉快ではないし怖い場合もあるでしょうから) その瞬間から何も言えない。という姿勢にはならない。 私から見ると相手が理不尽なことを言っているのは明白で、 なぜそこで話を聞かないし聞いたことに返事をしないのか? (腹が立つっていうのはこっちのセリフだとすら思う) ただ、こちらが感情的にはならないように話をします。(しました) 感情的にはならず、しかし言うべきことは言う。 なぜなら、 極端に怒りの感情をあらわにする表現は威嚇にもつながり、 そういった方法でコミュニケーションをしたくないという気持ちがあるからです。 ただ 何も言わずに黙って引き下がる、はしない。 それをすると、自分の中で伝えきれていないという不満が膨らんでいき、 負の感情が増殖してしまいそうで、とにかく伝えることは伝えないと、と思っています。 話した後は、もう、私には何も出来ることはないと思うから、 「こうしてほしい」を無理に押すことはやめることが多いです。 最悪、「そうならなくてもいいや」と諦めるような。 *** 諦める、という選択は私の中ではとても冷めたような感情で、 もう一切相手に期待をしない、というような気持ちに近いのです。 話しても通じない。 そう思ったときに、湧きあがる感情。 それは、 私がふりしぼって言葉にしたことを受けとらなかった相手への怒り、というよりも そういう自分に対するリスペクトが、相手にはないんだなということを確認したような感じ。 とにかく、自分が大切に扱われていないんだな、ということを感じる。 じゃあ、自分を大切に扱わない相手に自分はどう対応するのか? 悲しくなって、怒りも感じたりするけれど、 なんというのかもうそこで、何か言おうということもない。 私は自分で自分の感情をある程度は理解して、対話をします。 ああ、こうして受けて止めてもらえないんだね、悲しいことだね、 でもそれは私のせいじゃないはずなんだよ、と。 相手の問題なんだよ、と。 真っ向から何かを投げるのはやめよう。 投げる相手とタイミングを考えよう。 必要以上に自分を責める必要はないから、静かに離れよう。 そんな感情でしょうか。 声を荒げて、突飛な行動に出たとしてもそれがどうなるんだというようなこと。 子どもの前でみっともない言動をとりたくないし。 *** 相手を対等に見て、本当にリスペクトしながら関わるというのは 簡単なことではないと思うのです。 ともすると 人はすぐ、マウントをとったりして見下したり、 はたまた卑屈になったりする。 威嚇したり、不適切にへりくだったりすることで身を守っているのだろうけれど、 そういう行動をしてさわやかな気持ちにはならないし、 どこかしらもやもやする。 でも すべての相手と、対等に関わり合うのは難しいのかもしれません。 対等に言葉を交わすことのできる相手と、話題とタイミングを大切に。 こちらの姿勢や努力をつくしても対等に関われない相手とは、 関わる頻度やタイミングを考えて工夫すること。 他人が誰しも、自分の思い通りになる、なんてことはないのでしょうから。 誠意とか、相手を心から大切に思う気持ち、というのがあるならば きっと魂に刻まれていくはずでしょうから。 自分の行動は自分で決めることができるのですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.17 23:35:53
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