カテゴリ:ちょっと考えたこと
気温があがり、庭のカタバミがたくさん花開いています。
そして草取りをしながら思ったことを忘れないうちにつづっていきます。 今日は、親について。 *** 自分も人の親になって20余年が経ちますが、はたして私が子育てなどしてよかったのかと思うくらいには自分のダメさ加減に、いまなお自己嫌悪になる日々です。 とかく、世は親になった人に厳しいです。 どうやって育てるべき、という論が事あるごとに噴き出すのです。 子どもの命にかかわるような事件が起こると、なんでそんな人間が子どもを産むのか。 不適切。 産むべきじゃなかった。 未熟な人間が親になるな。 そういう意見がネットなどでも飛び交います。 痛ましい事故や事件があれば、それがどうにかならなかったのかという思いが 誰の頭の中にも廻るのだろうとは思いますが、 きっとそのときに、誰かのせいにしてすっきりしたいという心理も働くのではないでしょうか。 ではそういう人の言う、子育てするにふさわしい親だとか大人っていうのは、どういう人のことを言うのでしょう。 子に対して適切な生育を行う。というのは理想的な親像なのでしょう。 ここでいう、適切、ということの中身は非常に難しいように思われます。 子どもも違う親も違う中で、初めての子育てを手探りでやっている親もいる。 手を貸してくれるほかの大人がいるかどうかも、大きなポイントだとは思うのですが 親になった人が誰しもそういう支援者を身近にもっているのか。 持っているかどうかだって「自己責任」だったりします。 (どういう理由によってか、にかかわらず、子育てする人に物理的心理的支援が届くようになっているのか。少なくとも今の日本では不十分でしょう。) 初めから子どもに不適切に接するつもりで産み育てる人など一人もいないと思うのです。 *** どんな子もどんな親のもとでも、どんどん成長していきますが そのうち、子どもが成長すると親のいろいろを追い抜くというのか追いつくというのか きっと親というものを大人の目線で見ることができるようになるタイミングがやってくるでしょう。 そのときに 親ってものは、子からみて 「ああ、なんかうちの親って駄目だなあ」みたいな余地みたいなのは絶対必要なんじゃないかなとふと思ったのです。 とくに 世間の評価的に立派な親がいるのは、しんどそうです。 世間の評価はどうであっても、きっちりしたい親もしんどそうです。 うちの親は~と思う時に、ああ駄目な人だと思って反面教師にする場合もあるでしょうが どういう理由であれ、もう大人になったら自分の道を歩いて行くのですから そして 自分のアイデンティティによって自分の人生を組み立てていくのですから その伸びしろになる途中に、天井のようになる親なんて邪魔にしかならないんじゃないか。 そう思うと、 少なくとも世間さまが「お宅の親御さんはりっぱだね」というような親は 子どもにとって、利になるばかりでもないのかもしれないなどと ふと思ったのでした。 世の人が言う立派な親、によって子どもは窮屈になりませんか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.05.01 13:28:55
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