カテゴリ:ちょっと考えたこと
なにかしら物事をことわる、いわゆるあることに 「No.と言う」ことの意味みたいなものを 買い物がえりの車のなかで考えたりしました。 一般的には No.をいうのは、なかなか抵抗があるという人も多そうです。 意思表示としてのNo.、はできればYes.と言えるなら そのほうがよほど気が楽かもしれないな、とも。 (その瞬間は相手にいい顔することができますから。) *** 自分が選んでNo.をいうことで それを言われた人が、 「拒絶された」とか 「否定された」とか、 そういったマイナスな意味にうけとることはありがちなのではないかとも思います。 うけとる瞬間に、うけとる人が悲しい気持ちになってしまいがちなNo.、ですが 本当に悲しいことなのかどうかは、きっとあとになってはっきりするのではないでしょうか。 たとえば 本当に不本意なことなのに、むりやり(いい顔しようとして)Yes.と言ってしまう。 (こういうのは、迎合、という言葉を使ったりします) その瞬間は、うけいれられたとおもった相手方は 「うれしい」「ありがとう」というような リアクションであったりして、 「Yes.といってよかった」 (むしろNo.といって相手に悪く思われなくてほっとした) という心情になったりするのは自然なことかなと思います。 しかし、肝心なのはもしかしたら、 その瞬間のYes.ではなく Yes.と返事をしたそのあとのことなのかもしれません。 中途半端に、「いい顔をしようとして」言ったYes.だったとしたら そのせいで 本当は不本意なことなのに、それをし続けなくてはならなかったり むしろYes.を言ってしまったばかりに、もともとはNo.が本心だった場合 前の返事をひるがえして「やっぱりNo.だった」ということは さらにハードルが上がるような気もします。 *** そう思うと、一番最初に自分の本心からでる「No.」は 自分に正直になった結果であり 誠実さであり 相手への誠意であるのかもしれません。 なんでも、0か100かで考える弊害もあるかとは思うのですが (グレーゾーンを持つ大事さというか) そしてその伝え方ももしかしたら悩ましいことかもしれませんが (感情的になりすぎると、冷静に考えにくくなったりもする) 行き当たりばったりの「いい顔」よりも 自分の本心からの「おことわり」は自分も相手も守る行為だったりするのかもしれません。 うそをついても、黙っていても、身体は本心を語ってしまったりしますから。 だったら ちょっとエネルギーがいるけど 正直に、誠実に伝える「No.」というのは、 不誠実に口から出る「Yes.」よりもよほど 生活の中での効力を持つのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.11 16:32:36
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