カテゴリ:ちょっと考えたこと
家族と言えど成人した人との関わり方については考えさせられる事が多々あります。
いくつになっても子は子とか親は親とかそういうのもありますけど、 そうはいっても「お互い大人」ということに変わりはないわけで。 それぞれの人生歩いている中で、「もっとこうしたら」を言いたくなる時があると思います。 何をもって「もっとこうしたら(よい)」と言えるのか、 「よい」の基準は何なのか、というあたり、 なかなか、どこを中心に持ってくるかで答えが違ってきそうです。 常識とか、望ましいとかそういう事を言いだすと、 あれよりこっちのほうがいいはず、となるわけですが それは 自分以外の大人が助言アドバイスすることを果たして 素直に聞き入れられるものなのか というところがポイントで、なかなかそうはいかないものかもしれません。 (そうでなければ、自分の人生を誰かにのっとられているともいえるような) だったら ああ、これはどうなのかと身近で見ていて思っても それをしている本人が「これではまずかった」と気がつくまで、 周りの誰かのアドバイスがあるからそうしなきゃとかではなく 心から、こうしないといけないと思うまで 本当の行動にはつながっていかないのだろうなということをふと 思ったり周りから言われたりもします。 常識で考えたらこうでしょう、と言いたくなるのは 何かあった時に「なぜ近くにいた家族が言ってあげなかったの?」と 言われたくない自分のエゴもあるのかもしれませんね。 (予防線を張りたい) 本当は近くの誰かが言ってあげなかった、を責められる必要だってないのかもしれないし 本人が責任を負うべきものかもしれません。 近くの人の助言は、言う人は良かれと思って言っているけれど 最終的には、言われた人が自分の決断と自覚して行っていない場合は 最終的に自分で行動を決めていくプロセス、という部分を見た時そして 長い目で見た時には、遠回りさせていることになるのかもしれません。 そうはいっても 手っ取り早い答えがほしいものです。 そしてできるだけトラブルを避けたい。みたいな心理が手伝って、 つい こうじゃないの、と言いたくなってしまうのが常なのですが。 相手が大人ならば、まず相手の意思を尊重するという ごく当たり前のことを忘れそうになります。 果たして本人の決断でなにがどうなっていったとしても 責任を負うのは本人だということ(よくてもよくなくても) それを周囲の大人が必要以上に入り込んで「こうしなきゃだめ」を言うのは 本当はよくないんだろうなというようなこと だけれど 「相手のため」というワードをひっさげて、口出ししたくなるのが常だったりします。 しっかり境界を引かないといけないんだろうなとも思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.07.01 15:50:49
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