カテゴリ:ちょっと考えたこと
子どもがいると、おのずからその子の進路や人生などがどう、ということのそばに家族もいることがあります。
進路説明会などに親も出かけるし、同意を書く書類を出したりもする。 (あくまで本人の問題とはいえそういうものを求められる時代) 親のいう「安心」「納得」とは・・・と最近考えることがあります。 結局、子どもの人生がどうなっていくかについて、どういう視点で安心したり納得したり喜んだり悲しんだりしているのだろうか。 そこで大事なのは、安心している、納得している、喜んでいる、悲しんでいる の主体はそれを思う人にあるということです。 ○○すると親が悲しむ、だとしても、悲しんでいるのは親であり、 ○○している本人が納得しその意思をもって動いているとしたら 本来は親がどう思う、は枠の外の問題であったりする。 喜ぶか悲しむかそのあたりは、思う人次第なのかもしれない。 子がどうなれば親は安心するのか、嬉しいのか。 子は「親を安心させるために」進路を決めるのか。 そういう要素が全くないとは思わないし、そういうことが入ってくる余地は十分あると思いますが それが一体どういう理由で、本人の意思決定に入ってくるのか? 最終的に決めたことは本人の決定ということなのですが、 ともすると「親はそういう方向を望んでいただろう」というような 隠れた?意思決定のもとみたいなのがあると、 本人の意思、といいつつ実は親の意向だった、みたいなこともあるのかもしれません。 親の意向と真反対のものを望みながらそれを表出できずに 自分の意向とは真反対に進んでしまうとどうなるのか。 でもそうなったとしても、もう親にはどうすることもできないような気もしますが。。 自分の意思を表出できない子に「育ててしまった」みたいに思いますか? あくまでその原因は親にあるのでしょうか。 そのあたりの答えはあるかないか、という感じではありますが・・・。 *** とにかく、子どもがどういう進路を歩こうと、 それに対して強い意向を子に向けて発しないこと。 (発していないつもりでも人は自己表現をしているわけですから難しいのかもしれませんが) それは 親子の分離といえばなんだかあれですが 「人と人との境界線を引く」 ということなのでしょう。 親子、家族と言えそれぞれ別の人間なのですから どういう道に歩いていくとしても、それはその本人の問題であるはず。 そこを、様々な感情にまとわれるとしたら 一つ、思いだしてみるのも一つだなと最近思うのです。 ブログで同じことを何度も書いている気がします。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.07.05 07:52:09
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