社交辞令。
「こんど、〇〇しましょう」
挨拶の代わりに交わされるそんなひとこと。
本当に、〇〇するのかどうかは別として(別として!!)
〇〇しましょう、と声をかける。
もしかしたら自分も誰かにそんな一言をかけているかもしれないのだけれど。
自分が、そんな一言をかけられ
あ、たぶんそれが
自分にとってとても「好ましい」「望ましい」ことだからかもしれませんが
それが本当になったらいいな、と
思わず思ってしまう。
それは社交辞令だよ。と言われてハッとしたのでした。
社交辞令は、挨拶と同じなのでしょう。
また会いましょう。と言われて。
いつ会うかはっきりわかっていなくても
「また会いましょう」という。
私が出向いている場所なら「また来ますね」という。
(それは本気です、2度と来ないところでまた来ますとは言わないのだけれど)
それを聞いた人が
「こちらも(あなたのいる☆☆に)行きますね」という。
さて、それは本気かな?
社交辞令、それは当たり前にある「挨拶」みたいなものだということ。
それがなんとなく、わかりづらかったりする自分にハッとしました。
***
「今度(☆☆に)行きますね」
その立場の人がそう声をかける社交辞令だったとしても
それは
行くつもりがないのにうそを言うのとは違うのでしょう。
「そのくらいの気持ちを持っているし、気にかけていますよ」
ということだろうということ。
実際、来るか来ないかは問題じゃなくて。
一つの心遣い。
というのが、ここのところ理解に苦しんで
うそを言う人がいる(!)くらいな感情になりがちでした。
それは
言葉を発する人がどういうつもりで言っているかなんて
実際のところは「その人にしかわからない」。
でも、受け取って、何かを思うのは、「こちらが主体」。
「なんでうそを言うんだ?」と受け取って感じるより
「そうか、そうやって気遣ってくれているんだな」と受け取るほうが
その後の関わりかたが楽になるのかもしれないな、と。
社交辞令がわからない人は、
ストレートに言葉を受け取って生きづらくなりがちな傾向をもつのかもしれない。
実際に相手がどういうつもりか、というのはさほど問題にしなくていいのかもしれない。
そういう言葉を発するコミュニケーションの中で
必要以上に傷つかないためには
スルーしたほうがいいときもある。
気分よく、受け取ったりいなしたり。
そういう関わり方もあるんだと、知った日でした。