カテゴリ:ちょっと考えたこと
社交辞令が苦手です。
社交辞令とは… 人と人との関わりがうまくいくためのちょっとした 「あいさつ」のようなもの、でしょうか。 「今度、お茶しようね」 「また会おうね」 知り合いと交わすなら こんなフレーズが多いでしょうか。 上記のような言い回しだと、ほんとに、挨拶 という認識もしやすいのですが これが 「(来月くらい○○で)お茶しようね」 「(今年中には)会おうね」 「また連絡して」 みたいな、具体的な時間や場所が加わってくると 単純な挨拶代わりのことば、と思いづらくなる私です。 「連絡して」と言われたら 「連絡しなきゃ」ってなる… 社交辞令が通じない人間なのかもしれません。 *** ところで、私が社交辞令に遭遇する場所の一つに それを言う方が、ビジネスのシーンにいる わかりやすく言うと、こちらがお客(Bでのお客ではなくcustomerとしてのお客)の場合。 サービスとして接客してもらっている中で 会話がサービス内容に入っているような場面だと その人が話すことが全て、本当かどうかなんてわからないなと思うことがあります。 私がこれが好き、と言ったら そのタイミングでサービス提供している人が「私も好きです」と返す。 それが、本当なのか嘘なのかは 大した話ではないのかもしれない。 (サービス提供する方の目的は、お客様に気分良く過ごしてもらうことだから) 言い方は悪いけど、多少の嘘くらいつくのかもしれない。 (本当は嫌いでも好きってとりあえず言っておく) その話術は、ビジネス上の道具みたいなもので その世間話レベルのことの真偽はどうだっていいのかもしれない。 ですが… それを真に受ける人がいるのです。 (私) *** 私が変なのかもしれませんが そこで聞いた、その人の「好き」を覚えていて 次回会うときに、好きといった「それ」をプレゼントしたくなったりしてしまう。 これもかなり飛躍しているとは思うのですが、 私の認識とリアルとの誤差みたいなもの… ポイントは ・その人は本当にそれが好きかどうかわからない、嫌いかもしれない←理解できない (好きといった一言に嘘があるという発想がそもそもない) ・好きなものなら、差し上げたら喜ぶだろう(くどいけど、本当に好きかどうかわからない!し、あなたからもらいたいとかは思わない!?) そこがなんとなく、現実とズレていないか? と思うことがあるのです。 【勝手にまとめ】(?) ・人は、仕事上の会話などでツールとしての「会話」をする場合があること。 ・潤滑なコミュニケーションのための道具なので、その内容が本当か嘘かはわからないし、どちらか?という部分はさほど重要ではない。 ビジネスツールとしての「社交辞令」は それを使う目的が、ビジネスでの成果を上げるところにあるのでしょう。 自分がお客様の立場で、その会話の中で サービス提供者の話す世間話の中に リアルの事実と異なる提供者の感情、意思表示などがあったとしても それによって、お客様に満足感(ここでは、気分良くサービスを受けて帰ること)が 叶うのなら、必要な道具である場合がある。 そして、仮にお客様がなにかの機会に「嘘じゃん」と思うことがあったとしても。 それによって利益を得ている(つまりビジネス上で)側の事情があるなら つまりそれによって、営業が成り立つ部分があるのだとしたら 焦点はそこで 真偽のほどは、付随的なものであるということ。 【オマケ】 …たまに私のように、その嘘かホントかに焦点をあててしまうような人は その部分で納得がいくとかいかないとか 相手が信用できるとかできないとか そこに繋がって リピートに繋がらない可能性もある気もする。 …これは少数派なんだろうか… あなたは何一つ、人に合わせた嘘の一つもつく必要のない仕事をしているのか? 仮にそう聞かれたら。 そうです、というのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.08 11:14:25
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