カテゴリ:ちょっと考えたこと
続けていたり関わっていた「何か」を辞めるきっかけ。
よくありがちな「人間関係」。 嫌いな人がいる。 苦手な人がいる。 ありがちな気がします。 合わない何かがあるのかもしれない。 人それぞれ、そんなことはよくある。 理屈なんかなくて。 なんとなく、とか。 生理的に、とか。 人との関わりの中で当たり前にある気がします。 ただ、その人と人との距離感が保てるなら 「がまんできなくはない」というか すべてを受け容れるなんてことはできないだろうし (そもそも、すべてを受け容れる必要なんてないのかもしれない) だったら、共存するためにどうするか?を考えるのでしょう。 だけれど どうにも、その距離感が保てなくなりそうなとき。 または 瞬間でも接触したくないくらい、嫌悪感や苦痛が増したときなどは どちらかがその場を離れる。ということになるのかもしれません。 *** ある人と一緒に何かをやっていて、とても嫌な思いをした。 それがきっかけで、もうこの場に来るのは嫌だ、と決めた人がいるとして。 Aさんとまた会いたくないから。 というのが、原因の一つであるかもしれないけれど、もしかしたら 原因はそれだけではないかもしれない。 ずっと前から、なんかその場やその場で何かすることのなかに 気に入らないことがあった。不満があった。として それでも、さっさとそこを去るほどの理由がなかったのかもしれない。 ほかの人がからんでいたりすると、辞めづらい、みたいなこともあるかも。 で、ふっと 決定的に嫌な出来事が起こったら。 ああ、もう辞めるわ。ってなるのかもしれない。 嫌な出来事に居合わせた「あの人のせい」だよね?と 辞める本人もその周囲の人も思うかもしれないけれど、 本当にそうだろうか? *** 別に、人が一人、腹をくくって何かを決める、ということについて 周囲がとやかく言う必要はないのかもしれない。 あの人のあれがなければ。続けられたのかもしれない、けれど。 それを押してもやりたい動機がなかっただけ、なのかもしれない。 そもそも、嫌だったんだよね。とか。 …本人にしかわからないのだろうけど。 *** 過去に、私が関わった団体でおそらく 私の運営方法がまずくて辞めたんだろうな、という人がいました。 確かにこれは不信を持たれてもやむを得ないだろうというようなこともあり。 けれどそれは、その人を貶めようと思ったわけでもなんでもなく その会合にもっと出てきてほしい、出るきっかけを持ってほしいと 周囲の役員と話し合って決めたことではありました。 ちょっとした行き違いがありました。 そのやり方がそもそも、当人には嫌なものに映ってしまったんだと思います。 いくらこちらが「良かれと思って」といったところで 当人にとっては「それはこっちの問題。余計なお世話」なのかもしれないわけで。 そこで 「周りがこんなに気を使ってるのに」みたいなことを思ったり言ったりしたところで 余計なお世話、不快で迷惑でしかない。ということなんて この世の中、ごまんとあるのでしょう。 そのとき私は、たとえ悪気はなくても不快な思いをさせたのが申し訳なかった、 と思い謝るしかできなかったし、会うこともなくなった今でもとても 後味悪い、悲しさもありますが それも、私の至らなさのせいだけれど…ただ、気持ちを伝えるしかできなかったけれど。 去るのも去る人が決めたこと。 そして そこに居続けるのがいい、ととかく思いがちだけれど それが幸せかどうかは、当の本人が決めることであり そのきっかけがよかったか悪かったかなんて 周囲が思いをはせたところでどうしようもない。 個人の問題になってしまうのではないかとも思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.05.25 10:00:45
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