カテゴリ:ちょっと考えたこと
これまで関わってきた人との関係の中で
私に対して「攻撃的」な人、という人はいて わりと身近なところから当たりがきつい人が複数いたように思います。 当然、そういう人に対しては「苦手意識」が生まれます。 なぜ自分がそんな目に遭わないといけないのか、そんな扱いを受けるようなことを 自分はやっているのだろうかとずいぶん悩んだこともあります。(進行形?かな) 悩んだところでわかるはずもないことだとは思いますが。 私の勝手な考えだけれど、誰かを攻撃する人は「脅威を感じているから」ではないでしょうか。 「脅威」とは、「おびやかされること」。 人は何によっておびやかされるのか。それは人によって違うのかもしれませんが おそらく 誰かに出会い、この相手は攻撃しておかないといけないという「脅威」を感じた相手には 攻撃をしかけるのかもしれません。 (逆に脅威を感じなければ、攻撃をしかける必要はないのかもしれませんから) つまり、私に対して攻撃的だったり威圧的だったりする人というのは イコール私に対して何らかの「脅威」を感じている。ということになるのかもしれないという 仮定を思いついたのです。 私が近くにいることでおびやかされる「何か」がある。 だから、「おびやかしてこないように」しておく(=攻撃する)ことが必要になるのかもしれません。 *** 私が記憶している「私を攻撃してくる人」はいろんなポイントで私に脅威を感じていたのかもしれない。 その人や内容については触れないので一般論を勝手に述べるみたいになってしまうけれど。 経歴をくらべられるのではないか 今の生活を比較されたり非難されるのではないか 業務について指摘、非難されるのではないか そういうことを通して、自分に対して「不利益」になるかもしれないきっかけを作る相手だとしたら 攻撃しておかないといけない。 たたいておこう。 と意識してもしなくても、おのずとブロックしたくなるものかもしれない。 これまで自分が攻撃されたような格好になった対象の人はみんな 何かしらそういう「脅威」によって、私とのかかわり方が決まっていったのかもしれない。 その理由なと、説明することは当然できないし、しないから こちらとしては「はてな?」「理不尽」みたいな印象しかないのだけれど。 逆に、脅威を感じなくなれば攻撃する必要がなくなるのだとしたら。 攻撃された(と感じた)私は、単純にたたかれたり無視されたりしたことに対して 自分に自信を失い、悲しくなってしまっていました。 それでも性分的に理不尽なことにそのまま折れることをしたくないので なぜそういう目に遭うのか追いかけてしまうし、突っ込んだりもする。(反撃か?) 徹底的に応戦してしまうこともありますが。 だからといって、関係性が変わるわけでもなく、離れて行って接点がなくなる、みたいな 結果になることが多かったかも。 どうしたらよかったのか、はわからないけれど 応戦しなければよかったのかな。 相手は自分に脅威を感じるからそうなっているんだよ、 これ以上おびやかさないように最低限、やるべきことをやって そっとしておこう。 ということができれば、何か変わっただろうか。 過ぎたことについてはもうなすすべがないけれど もし進行形のことがあるのだとしたら 自分の心にそうつぶやいて なにかされようとしても、最低限の気持ちだとか何かをしっかりつたえて 時を待つ、のも必要なのかなとか。 応戦するつもりなどなく 当たり前に業務をおこなったり暮らしたりしているだけで 相手に脅威を与えているとしたら それだけで攻撃してこられるとしたら それはどうしたらいいのかな。 必要以上に自己卑下することもなく 自分の能力を低く見積もる必要もなく ステップアップをして それを祝福してくれないような人だらけの場所からは そっと離れることが もしかしたら 幸せなのかな。 自分に焦点を当てる。 どこにだって居場所はあるような気がしてきた。 今のココに執着する必要は必ずしもない。 今、この瞬間に変わらないものなど何もないのだから。 諸行無常。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.11.30 16:51:27
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