カテゴリ:ちょっと考えたこと
ここは私的な日記の記録みたいな場所だから
日記みたいに記録しておくのも一つかなと思い PCを開いています。 今月中旬に発熱し、いわゆる流行のやつに感染してしまったようです。 しまったようです、というのも 抗原検査を2回するも陰性となり結局 症状から怪しいので仕事を休む段取りをし、自宅療養をしました。 その間、発熱外来に連絡するも開始時刻に電話してもいっぱいだと言われ 受診をあきらめてしまいました。 同居の家族がたまたま用事があって連絡した医療法人さんで 家族が検査をしてもらうことになり陽性。 実質、同居家族はみなし陽性ということになるでしょうか。 とにかく発症から7日間自宅療養 10日までは注意をしながら過ごしました。 受診ができないということは薬も処方してもらえないので 自宅にあった薬や市販のものなどを使ってどうにかしのいだ感じです。 とにかくこれまでは、熱があれば病院にかかる、が当たり前だったけれど 感染症とともに生きる時代には発熱すると一般的な時間帯には 診察してもらえないことは、普段かかっている内科の様子を見ていて わかっていました。 ではいざ自分が、となったときのことを想像していなかったのですが 思いのほか、門が狭かったです。 感染しても特効薬もなく、症状がひどくなければ自宅で療養するしかない というような一般的な状況を受け容れつつ時間を過ごしました。 それでも発熱とかのどの痛みとか咳とか、割とつらい症状もあるため そして、後遺症がどうとかいう情報もあるため いったい自分たちはどうなっていくのか、不安な症状を誰に相談できるのか とにかく…不安な気持ちになってしまいました。 ただでさえ、ほかの人との接触をしてはいけないと細心の注意を払わなくてはいけない。 日ごろの社会生活(職場や学校)からは隔離しないといけない。 それは法的に決められているようなことだからもちろん守る。 だけれど、休んでいる間のこととか自分の体調のこととか。 本音をいうととにかく、不安しかなかったのです。 我が家で一番最初に症状が出た家族も、抗原検査で陰性2回ということで それにのっとり行動する、と言い出した時には反対したり。 ちょっと尋常じゃない空気感だったかもしれません。 私はSNSなどを見ることで、こういったときの抗原検査が陰性であっても PCR検査をすると陽性になるという人がとにかくたくさんいるらしいことを 情報として得ていました。 けれど、医療用の検査なのだからそれに従って何が悪い? という話になってしまうと… いや、信ぴょう性が薄いらしいから。といっても、ではなぜ検査として出回っているのかとか 法的に問題はないとか、そういう話になると平行線になってしまう。 とにかく私自身は、病院で検査もできそうにないけれど 症状から明らかに疑われるものとして行動するべきだと 淡々と職場に相談をし、指示を仰いで自宅で療養しました。 なんというか。この時の体験も本当に… 検査結果を信じて何が悪い?といわれたら悪くはないのだろうけど 外の世界ではその結果はまったくあてにならないと言われていることを見ると いったいそのままでいいのか?とも思うし 内容はなんであっても 誰かと意見がちがって相容れなくなる悲しさってあるのですが こと、このような感染がどうの、ということになってくると 適当でいいやってことにはできないのではないかと本当に強く思ってしまって 会話が通じない間はなかなかつらかったです。 極論をいうともろもろ 腹をくくらなくてはいけないのではないかというところまで 追い詰められた感はあります。 とにかく 本当に、その立場になってみないとわからない気持ちだと思うのですが とりあえず、一般的な療養期間を過ぎると大体の症状は落ち着いて 日常生活に戻ることができて少し安堵しています。 自分は2年少し前に仕事を始めてから、ほぼ1度も予定していたシフトを 休んだことがありませんでした。 が、今回ばかりは休まない選択肢はありませんでした。当たり前のことですが。 1週間ほど空けましたが、それも貴重な経験になったように思います。 誰かの手を借りなくてはいけないことなんて普通にあることだという準備が必要です。 実際、数か月前に一緒に働く人が辞められて 自分が勤務しない日にほかの部署のスタッフに業務をやってもらうにはどうするか 試行錯誤していて、一つのやり方を試してみていたのですが そのおかげで、自分が不在の間も誰かしらが業務を回してくれて 滞りなく業務が遂行されていてありがたかったです。 自分にとって業務に出られない(業務だけじゃなく外出などもですが)日々は あれこれ考えさせられる時でした。 孤独だったし、不安だったし、ちょっと…そういう意味で精神的にもきつかったですね。 それでも仕事に復帰してからは、どこか心持が変わったというか 誰にでもリスクがあって、抗いきれないときもあるのだな、と思うと 他の人に対する気持ちも少し変わったかもしれません。 感染症のもとになるものが憎いし、こっちに来てほしくないし もしかしたら面前にいる人がウイルスを持っているのかもしれない? その辺に浮遊しているのかもしれない? いつ、感染するかわからない、という不安と隣り合わせの毎日で 感染した人に対しては漠然と怖いという感情を持ってしまう自分もいましたが これがいざ、自分の身に起これば立場が逆転してしまうのです。 どこか高見で「私は感染していない人」の立ち位置で世の中を見て 人を見ていたのですね。 あっち側の人とこっち側の人、みたいな。 それももしかしたらやむを得ないかもしれないです。だって怖いですから。 防御しないといけない、ということに躍起になって(もちろん大事なのですが) 手洗い、うがい、汚い手で目をこすったりしないとか 私の場合は接客の仕事でもあるので 仕事から帰ったら即刻洋服を着がえて風呂に入ったりしていました。 本当にピリピリしていたし、怖かった。 もちろんこれからも気を付けないといけないことには変わりないのですが 感染したということがショックでもあり 受け容れたくないみたいな気持ちにも一瞬なったと思います。 でもだからといって見て見ぬふりをするわけにもいかない。 だって、当初から「自分が感染しているかもしれないというつもりで生活しよう」と 言われていたわけですし パブリックな場所ではとにかく「風邪症状のある人は立ち入り禁止」なわけですから 自分にそういうことが少しでもあれば疑って行動しないといけない。 もうそれしかない、わけなのですが。 もともとクソ真面目で、つい正義感発動しちゃうような自分です。 会話が通じないときに、私の性格や考え方や頭がおかしいのか?と 心底…悲しい気もちになりました。 今でもその答えはわかりませんが 社会生活をしていくうえで自分の考えも全くの間違いではなかったのではないかと 少し冷静に思えたりもして。 貴重な体験をしたと思うので その記録みたいな日記です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.31 16:23:25
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