カテゴリ:ちょっと考えたこと
お正月、普段会わない人に会うこともある
そんな季節ですね。 ご多分に漏れず、身内への挨拶にいってきました。 私自身は数年ぶりになったかもしれません。 なんとなく、少しは人と会うハードルが世情的に下がっているようにも思います。 お正月に限らないことですが 人と関わっていて悩むことってありますか? 多くの人が人間関係に悩むことがあるのではないかと思います。 これは、私の気づきなのですが 結局、人間関係は(も) 「(自分の思うようになると)期待しない」 「そういう人だと承知して付き合う」 に尽きるのかもしれません。 よくある、結婚によってできた家族に対して 不満を感じる人も多いと思いますし それを口にしている人もいる。 その内容は結局 「相手が自分の思うようでない」ことに対して不満がある、ということかもしれません。 姑が嫁に不満なのも 「こうしてくれたらいいのに」と考えることと、現実に乖離があるからでしょう。 逆もしかり。 あらためて私も… 久しぶりにあった人との会話で 何となく、相変わらずデリカシーがないなと 感じることがありました。 相変わらず、というところがポイントです。 そこを、まあ安定のいつも通りだねとスルーできればよかったのですが 腹を立ててしまった。 それについて、周囲の家族が残念に思ったという展開でつまり この人はいつもこうだからしょうがないと なぜ流せないの? という指摘を受けたわけです。 だがしかし 私は自分がなにか悪いことをしたのだろうか?に疑問をもち あるとしたならば、高齢世代の方が「思うような嫁になっていない」ということかもしれない。 私があとから来た人間だとして(結婚) はじめからいる家族に従え、言う通りにしろ、が正しいなら 一つでも「そうはいたしません」となったとたん、こっちが思う通りにやらないお前が悪い、がベースにあるのかもしれません。 そしてこちらとしては 人としてそんなに間違ったことをやっているつもりがなければ 一般的には攻撃的な物言いをされた時点で 何かな?と思うし疑問も残る。 人間なので嫌な気分にもなる。 自分の子からはそこをまともに相手にするべくステージに上がっちゃうからダメ との指摘をされ、私が何をしたというのかという気持ちも拭いきれなかったのですが つまりは私自身も、人に期待をしていることに気づいたのです。 たとえ何がどうなっても 他人は変えられない。 そしてかれこれ80年以上生きている人が そう簡単に変わるわけもないのです。 だけれど時として人は 関わる相手が、こちらの都合のいいように 動いてくれたらいいのに、と思うのです。 そのほうが楽だし、快適だし、助かるし。 「こちらの都合のいいように」というところがなかなかの曲者だと思うのですが 私自身について言うと 自覚せず、期待をしていたのかもしれません。 しばらく会っていなかったから(?) そう思ってしまったのか、忘れていたのか? 相手は私相手に、 嫌味を言う 不満を口にする 私の家族を悪く言う 私の行動を悪く言う みたいなことが、そもそもあるものだということを忘れてはいけないのです。 そこにおかしな期待をして こちらの思い通りの人に「なっているはず」と思うなら (なっている?なぜ?何を根拠に?なっているはずがない!) 現実に対面して失望したりショックを受けることになる。 なぜ幻想を抱くのか!? 正常化バイアス、でしょうか。 こうあってほしい、に現実を寄せようとするのは 誰にでもあることなのかもしれません。 だがしかし、そのとおりである保証など、ない。 過去と他人は変えられない。 その中で自分の立ち回り方を変えることしかできないのかもしれない。 だからそもそも、期待をしてはいけないのです。 相手がこうなってくれたら、と期待しない。 せめてこうなら御の字くらいに思っていないといけないということを あらためて感じた正月。 「期待しない」大事かも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.02 19:27:48
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