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ここ20年来くらいで身近にいる人(今現在も含む)について
最近思うことがあるのですが 職場や組織などでまあまあ中堅以上、管理的運営の主体的立場にいながら 「後進をそだてられない人」に遭遇してきました。 後進、つまり 承継する人、や後輩みたいなものでしょうか。 誰しも自分の役割を持ちながら組織や職場などで働いているものだと思いますが 果たしてその仕事について 「その人にしかできない」を作っていないだろうか?というのは 働き方改革等の考え方の中でも非常に重要なことになっていると思います。 *** ところで日々、「この仕事は自分にしかできない」と思う業務・役割がありますか? 私の場合、「たまたま、今はそうかもしれない」と思うこともあります。 人の配置とか、自分が採用されたタイミングとか。 社内でこれを担っているのは自分だけ、という自負があったり だからこそきちんと全うしなければというモチベーションになったりもしているかもしれない。 それはそれで大事なことだとは思うのですが、とはいえ 同時に「自分にしかできない仕事」としてしまうことに問題はないのだろうか。 という気持ちも持ち続けてきました。 なぜなら 「働く人はみな人間」だから にほかなりません。 生きているなら休みも必要です。またはその場に所属しなくなる日がいつかくるのも 例外はありません。 その場合、どうなるのか? その組織があり続けてその業務があり続けるのだとしたら 自分の代わりにその役割を担う人が現れるはずです。 「自分がいないこの場所」を想像できるか? そして滞りなく、今と同様、または今以上にスムーズに運営ができること。 それを見越してやるべきことを考えると… 後進の育成というのは避けて通れないと思っています。 (組織そのものが消滅してしまったら役割そのものもなくなってしまうのでしょうが) 組織が持続可能であるために「後進の育成が不可欠」なのだと思います。 *** 次に、後進の育成をする側の視点からみてみます。 ある(比較的責任があったり地位のある)役職にある人が自分が去った後のことを考えるのは 容易なことではないかもしれません。 なぜならその立ち位置にいることで受けている恩恵を (地位なのか、給与なのか、世間からの脚光なのか)わかりませんが 容易に手放したくない要素があればあるほど、執着するのではないでしょうか。 執着すると、この役割を、仕事を誰かに手渡したくない。つまり 後進を育てるなんてもってのほか。という感情が生まれないとも限りません。 そもそも、なんでも自分でやったほうが早かったりします。 だがしかし…先も述べたように諸行無常。永遠と思うには限界があります。 そこを怠ると、自分がいなくなる=即、そのポストに穴が開く になってしまわないか。 そこまでのことに思い及ぶ人がどのくらいいるのだろうか。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.04 06:17:46
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