カテゴリ:ちょっと考えたこと
後進を育てる、と簡単に言うけれど
育てる側にも育てられる側にも相応の覚悟がいる場合もあります。 育てる側と育てられる側の信頼関係も不可欠ではないでしょうか。 自分の大事な場所を譲る、ノウハウを含めたマインドを伝える。 どうでもいい相手には伝えられないものでしょう。 伝えるといっても容易でない場合もあるかもしれない。 誰かを信頼して託す、というのは思いのほか、ハードルが高い。 だけれど、自分のミッションとして、または必然として 自分のポストを含めた役割を伝承していかなくてはならない場合があるとも思いますが それを決め実行することが困難だとしたら その理由はなんだろう?と思うこともあります。 *** 私は特に地位や名誉や特殊な技能をもつわけではありませんが これまでやってきた業務を人に伝える、ということを何度かやったことがあります。 (今もやっています) それは、トレーナーとして伝える、ということだけかもしれないし それ以上のものは(誰かに)求められてはいないかもしれないけれど 自分なりのミッションが原動力で働いていると、そういう片鱗もエッセンスに加えていたり しますけれどね。 そのときに何をまず思うか 「これからこれを担う目の前の人や組織が潤滑に回っていくにはどうするか」 を考えていることが多いです。 とかく… 地位や名誉の人は、その「立場にいること」に異議を感じたりしがちな気もしますが (言ってしまえば全体からしたらそんなことはどうでもいい) (なんなら誰がやるかなんてどうでもいい、必要なことがいかに遂行されるかのほうが重要) 現場が回り機能しなければ、組織としても機能していかない。 その点を理解して先を見越した「何ができるか」が重要ではないでしょうか。 (ここでリーダーという言葉が降りてきました。(笑)いまさらですが) 自分がいなくても回る組織。 自分がいなくても?というのも一つのキーワードで そもそもこれを受け容れるのが難しい人もいるかもしれない。 なぜなら…これを受け容れたなら「あんたがいなくてもいい」を認めなくてはならない。 人は、お前はいらないと言われて平気では…居づらいのではと思います。 なんなら 「必要とされたい」生き物です…。 でもそれにしがみついて何万年も生きるわけにもいかないのです。 *** 後進を育てられる人というのは、今の自分を通して 所属する組織や職場にある種類の「愛情」や「ミッション」を明確に持っているのではないでしょうか。 自分が担っている役割の本当の目的を理解している。 どこの何に「寄与」したくてこれをやっているのか。 まっとうするには何が必要なのかを日々考えている、実行している。 その「ミッション」がまっとうなのだとしたら その焦点は本来のミッションにあたっているはずなのです。 それは個人の自己満足や自己愛などではない、遠く先にあるものではないでしょうか。 誰もが見据えることができる、目指すことができるもの。 それをまっとうすることに立ち向かう人。 そのためには何が必要か冷静に考えて同志を求められる人。 同志にミッションや手法を共有し、かなえたいことを実現していく。 目的地が明確なら、得たいものが明確なら それを共有しよう、とおのずとなるはずではないでしょうか。 これが困難なのだとしたら 今のポストにいる「こと」に執着してはいないか? 今の自分に注目される「こと」に意義を感じていないか? 皆から見えて共有できるものではなく自分個人の「損得」が目的になってないか? つまり 誰かからの「承認を得たい」がメインの生き方になっていないか。 もしそうなら、きっとその人は後進を育成したりはできないかもしれません。 出来ないどころか、「絶対やらない」(笑) だって自分を超える人の出現は脅威にしかなりません。 組織や社会の将来?そんなことはどうでもいい。 自分のことが一番大事、それしかない。 (自分を大事にするのと、周囲を巻き込んで自分の承認欲求に寄与させるのはちがいます) そういう人が仮にリーダーになったとしたら 後進を育成できないだろうし組織自体は衰退していってしまうでしょう。 後進を育てる意識は、その人がどういうつもりでその業務に、役割にむきあっているのか それを通して何をどう成し遂げたいのか?の思いの強さにつながっていると思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.04 06:43:36
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