カテゴリ:ちょっと考えたこと
まあ。。。今日のことなんですけども。
夫に最近の私のこと言われたのが… 「〇〇がどうあるべき、っていう話が年々きつくなっている」 んだそうです。 そう、昔からそうなんだという自覚はあります。 確かに、昔働いていた職場などでも上司に対する期待は強かったと思う。 なんで上司なのにこれもできないの? 上司の失敗を私がかぶらないといけないの?? いわゆる 「上司のくせに」 ってやつですね。 …まあまあ、皆さん、私のような部下がいてやりづらかったことでしょう。 自分がリスペクトできる上司なら、どこまでもついていった…んだろうか。 たまたまお勤めの部分ではそうだった。 それ以外の場所で、尊敬できる人との出会いは当然あって でも、一日の多くの時間を共有するような人はそうそういないので そんな中でも「リスペクトしてるからついてく!」みたいな風には 結局なっていないんですよね。 なぜなんだろう、とふと思ったりする。 自分の上役である人は、尊敬するに値する人「でなければならない」みたいな べき思考がつよいのかもしれない。 それに合致していない部分には当然、不満がのこり 「なぜこの人はリーダーなのに〇〇じゃないのか」という不満だけが クローズアップして自分の中に積もっていく。 人は多面的なものだから 自分と会っているときのその人は、「その人と会っているとき用の自分」を 演出している可能性もあるし 何を大げさな、演出などという前に、場面を変えた「自分」があるのは 誰しも当たり前のことなんだろうとは思う。 そして、何より自分が「尊敬に値する」と設定している姿というのは あくまで 「私が設定している偶像」でしかないのだということをもう少し、自覚しないといけないのかもしれない。 *** 最近の不満の種はズバリ「職場の上司」 いわゆる、組織の長という立場でもあるので、まあまあな期待をしてしまう自分です。 〇〇な立場なのに、〇〇の責任があるのに、××をやらない、やれない、やろうとしない。 というのがとても大きな不満になって、自分を締め上げています。(笑) そういうのが夫に言わせると、べき論が強いようなことばっかり思ったり言ったりして 叶わないことにさらに不満を持って、かたくなになっている(私)らしい。 自覚はある。 ということは、私の心持次第っていうことなんだろうか? 私さえ、「まあそんなこともあるさ」と流せば楽になっていくんだろうか…。 なんとなく。 人は、誰かの役に立っていたいと思うものではないでしょうか。 それは家庭でも職場でもそうだと思うのですが 何をどうして役に立っていくのか。みたいなことは人それぞれだとは思うのですが そういった「課題」がわかった時点で、「課題解決」をしようとする。 それがお役に立つということだと思うと、課題解決が自分のミッションだと思ってしまうわけです。 お客様から改善してほしい話を聞くと、それはすなわち課題だから どうやって解決したらいいか?と上司に相談したりする。 でもその解決がままならないことも多々あり、なぜ・・・と自分の中で不満としてため込んでしまうようなサイクルができあがっているのかもしれない。 お客様からの申し出で「課題だ」と自分が思ってもそもそも 上司の人たちは「課題」だと認識しない場合もある。 また、「課題」なんだろうけど、喫緊の解決を求められるものなのか? 優先順位がねえ・・・そんなすぐどうこうってしなくても・・・みたいに放置されることもある。 そういうときに、まず自分がいろんなことを思うのだけどそれは 「課題」を共有できない虚しさだったり 解決していきたい。という思いの温度差が激しかったり そもそも、そういった思いを汲んでもらえなかった悲しさだったり そんなんでいいの?って思ってしまう自分…。 何を課題に思うのか?も人によって違う、答えがないものについてはなおのこと 自分が相談したからといってすぐに解決に向かうというようなことは、あまりないんだなと 痛感している日々であったり。 でも… お客様からみたらこれは、解決してほしい。 (気の利いたよりよいサービスの提供)ってことだったり 従業員同士の関わりの中で、配慮したい。 (お互いがスムーズに気持ちよく関わりあうためのそもそものマナーみたいな) ことだったり。 その実、とても大事なことばかりだと思うのになぜかそれを言う自分が奇特なことを言い出す者のような認識を持たれているのではないか…という話。 理想を追い求めるみたいなことをしたら 傷つく人がいるんだろうか。もしや上司まで傷つけるんだろうか。 そして、動いていかない事態にたいして、上司の対応に対して それがストレスになったりして自分がどんどん抱えてしまう傾向… そして最後は自爆みたいにですね、なっていくw そうみてくると、自分の考え方が割とかたくなで融通きかないものなのかな、とも思う反面、 節度や規律のなさとか、配慮のなさなどから もとはといえば場を仕切る人が気にしないといけないことを気にしないことで 嫌な思いをしたり、傷ついたり、取引先に愛想をつかされるみたいなこともあったりで 少なくともそれに気づいた者が「これはまずいと思いますよ?」と声をあげること それすら、「過度な期待」にあたるんだろうか…。 明らかにおかしな事態なのに、嫌われたくない、うるさいやつだと思われたくない、 そういう理由でだんまりを決め込む人の多さ。 黙っていれば悪く思われることもないだろう。 口をひらいて正論を述べれば不快に思われる。 正論であれば正論であるほど、図星である対象からは反感を買う…。 人とうまくやっていくには、そういう言いにくいことは黙っていることが 一番の秘訣なんだろうか。 だが。このままにしておくといけない、ということに目をつぶり 何事もなかったかのようにやり過ごすことがとても苦手な自分。 やっぱり、べき、にぶつかる。 べき、にこだわる自分がダメなのかな。 何事も程度の問題だとは思うけれど。 こっちは間違ったこと一つも言っていないのに、なぜ諫められるのかな。 っていう気持ちになってしまった一日でした。 でも… きっと、正論を述べてもそれが一気に解決するなんてこと、一般的にはないのでしょう。 そして 正論であれば正論であるほど、対象の相手を追い詰めるのかもしれない。 うっすらとわかるような気もするけれど なぜ、と思ってしまう自分となかなか折り合いをつけるのが難しい今日この頃。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.30 16:31:02
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