最愛の猫を亡くすということ。
『いつも楽しくほのぼのと』をモットーにしている私のブログですが、今日はちょっと真面目なうきじみで書きたいと思います。*-*-*-*-*-*-*-*-*-**-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-* みなさんもご存知の通り、今年ううにゃんが亡くなりました。ううにゃんは、もう何年も病院通いをしていたし、私が1度ブログから離れた頃からは、持病も悪化したり、新しい病気も併発したりしてたから、『ううにゃんがいなくなる日』を自分なりに覚悟して心の準備もしてきたつもりでした。でも、その日が来てしまうと、あんなに覚悟してたはずなのに、『ううにゃんのいない生活』を受け入れることができませんでした。 ううにゃんはいないのに、いた頃と同じように、毎日ご飯の用意をしました。ううにゃんの飲んでいたお薬も捨てられなかったし、ううにゃんの使っていたケットやオモチャを洗うことも片付けることもできませんでした。(ううにゃんのニオイ・気配を感じるものを消すことがすごく嫌だったんです。) ただ、ううにゃんのいた頃と違うのは、家の中でお線香のニオイがすることと、ホネホネううにゃんの周りに、ううにゃんカラーのお花が咲いていること。1日の大半を『ううにゃんのいない悲しみ』で過ごし、気がつけば泣いていました。話す事といえば、『ああしておけば・・・』という後悔と『あの時、ううにゃんは・・・』という、ううにゃんの事ばかり。 そんな話をうきじみお君は、いつも嫌がらず聞いてくれました。 でも3ヶ月が過ぎた頃、『そろそろ、ううにゃんを解放してあげよう。うきじみちゃんが、いつまでもそんな状態だと、ううにゃんも成仏できないぞ。』とうきじみお君。それから、『うきじみちゃんには、ううにゃんだけじゃないだろ?キキやジジ・ミミもいるんだよ。こいつらだって、うきじみちゃんのこと心配してんだよ。』と。 私は、はっとしました。 気が付けば、『ううにゃんの特等席』だった私の股の間には、ジジにゃんがいることが多くなり、私がぼ~っとしながら座っていると、オシリにちょこんとくっつきながら、キキにゃんが寝ていることが多くなりました。お風呂大好きなううにゃんの2代目を襲名したかのように、ミミにゃんが毎日お風呂に付き合ってくれるようにもなっていました。 ううにゃんがいなくなってから、他のにゃんこがいつも私を励ましてくれていました。 『ううにゃんの分もキキ・ジジ・ミミをかわいがってやりな。でも、ううにゃんの事を忘れろって言ってる訳でもないし、泣くなと言ってる訳でもないよ。』と、『早く成仏してもらって、生まれ変わったら、また家に来てもらわなくちゃな。』と、うきじみお君。 『ううにゃんのいない生活』を過ごしていた私は、ううにゃんの残してくれた『ううにゃんファミリー』を二の次にしていました。もし、この子達がいなくなってしまったら・・・。きっとそのときは、今の状況を悔やみ、さらにううにゃんの後悔も合わさって、さらに悲しみの中に引きこもってしまうだろう。そう考えたら『ううにゃんの分もいっぱいかわいがって、悔いのないように生活をしよう!』と気持ちを切り替えるキッカケを得ることができました。 ただ、すぐには気持ちも切り替えられませんでした。日々ちょっとづつ『ううにゃんのいない淋しさ』を『ううにゃんの分まで他の猫さんをかわいがる』という気持ちにすり替えて、生活するようにしました。 キキにゃんたちにしたら、急にぎゅ~っと抱きつかれたり、頬擦りされたり、ううにゃんが大好きだった、大嫌いなブラッシングを嫌というほどされて、迷惑だったと思います。 でも、そうしていくうちに心も少しラクになった気がします。 毎月20日の『ううにゃんの日』も、無理して『ううにゃんのことを考えないようにしよう』とか『泣かないようにしよう』とか、考えすぎてしまう私の気持ちをラクにするためのもの。『ううにゃんの日』は、思いっきりううにゃんとお話をして、泣いて、ううにゃんを感じてもいい日にしています。 ブログを再開したのは、『ううにゃんが亡くなったこと』を報告したかったからという理由からでしたが、ブログのおかげで、気持ちの持ち方が随分変わりました。 ううにゃんが元気だった頃は、写真もいっぱい撮っていたけれど、ううにゃんの病状が悪くなってから写真を撮ることも少なくなり、ブログを再開してまた写真を撮り始めました。写真を撮りながら、個々のかわいさを再発見したりして、楽しくなってきています。 でも、まだううにゃんの写真を見ることだけは、ちょっと時間がかかります。でも、こうやって日々を過ごしていくことができれば、ううにゃんもちゃんと成仏して、またいつか出会えるのではないかと思っています。*今回、このことを書こうと思ったのは、覚書のつもりでいつかは書いておきたかったのと、最愛のペットをなくされた方の悲しみから抜け出すきっかけの1つになれば(かな~りおおげさですが)と思ったからです。今日は、テーマが重かったのでコメントのお返事等は、明日にさせてくださいにゃ(^^;)