|
カテゴリ:ALS闘病?記
たくさんの人が周りにいても孤独を感じます。 自分一人でどこでも行くことができて不自由なく行動できる人には、 障害者となってしまった人の不便さ、悔しさ、悲しみは、なかなかわかってもらえない。 たまに感情移入の敏感な人がいて、そんな人に話しを聞いてもらえるとうれしくて泣いてしまう。 今のわたしのことをわかってもらえるだけで嬉しい。 だけど、 今のわたしのことをわかってくれる人は少ない。 わかってもらえないとき、孤独を感じる。 人の心には見えない壁があるようだ。 特に障害者と健常者の間には大きな壁かあるように感じる。 イエス・キリストは、病気になったことがないにもかかわらず、病気の人に感情移入することができたそうだ(マルコの書 1章40‐42)。 イエス・キリストのような“愛”があれば心の壁は越えることができるのだろうか。 今のわたしの状態もわからずたまに訪ねてきても、 それは自分たちが満足したいだけで、わたしは悲しくなるだけだ。 聖書のヤコブの手紙2章15~16にはこう書いてある 『兄弟か姉妹が裸の状態でいて,その日の食物にも事欠くのに,あなた方のうちのだれかが,「安らかに行きなさい。暖かくして,じゅうぶん食べなさい」と言うだけで,体に必要な物を与えないなら,それは何の益になりますか。』 将来の希望を熱心に語られても、 今のわたしに必要なのは、今生きていくための実際的な助けなのですよ。 五体満足な身体をおもちであれば、わたしの助けになる多くのことができますよ。 愛の示し方を知らない特定の人たちより ネットの同病仲間の言葉のほうが、どれほど力をもらえることか! [by NAGたま] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|