|
カテゴリ:ALS闘病?記
地震発生後、ラジオを聞いていると、千葉県九十九里に大津波警報がでていて予測では津波は10mとアナウンスされていました。 わが家は海岸からは8kmほど離れていますが、10mの津波となると、どの程度内陸まで上がってくるのかまったく想像できません。 もし津波が来ても、わが家はマンションの8階なので、このまま部屋にとどまっていたほうが安全だろうと判断しました。 あとで知ったのですが、海岸に近い地域では甚大な被害がありました。 停電はしばらく待てば回復するだろうと思っていたのですが、日が沈んで暗くなってからも電気が回復する気配はまったくありません。 懐中電灯とノートパソコンのUSBライトの薄暗い明りの中で、繰り返す大きな余震と、だんだん減っていく呼吸器のバッテリーに不安な気持ちが大きくなっていきます。 呼吸器は内部バッテリーで約8時間動かすことができますが、停電が8時間以上続けば命が危険になります。 部屋にとどまるか、部屋を出て避難するのか、判断を下さなければなりません。 部屋を出て避難するとしても、停電でエレベーターが動かないので、寝たきりで歩くことができないわたしをマンションの8階から移動するのは、ふなこさん一人だけでは困難です。 病院に電話してもまったくつながりません。 そうしているうちにも呼吸器のバッテリーは徐々に減っていき1本目のバッテリーを使い切り2本目のバッテリーへ切り替わったことを知らせるアラームが鳴りました。 1本目のバッテリーは4時間もちませんでした。 残り3時間数十分・・・ こうなったらもう消防に救援をお願いするしかありません。 地震発生直後に停電してから4時間弱ほどが経過した18時40分に119番通報しました。 その直後、友人のYさん夫妻が来てくれました。 Yさん夫妻は、わたしの事情をよく知っているので、長引く停電に心配して駆けつけてくれたのです。 119番通報から20分ほどで救急隊が到着しました。 ALS患者で寝たきりあること呼吸器のバッテリーがあと3時間ほどしかもたないことを救急隊へ説明して、停電していても呼吸器のための非常電源を使う事ができる病院への収容を依頼しました。 駆けつけた救急隊の3人では、わたしをマンションの8階から移動するのは人手がたりないのでレスキュー隊の到着を待つことになりました。 救急隊員はいくつかの病院へ連絡していましたが受け入れ先の病院が決まりません。 主治医のいるN病院は受け入れ拒否。ここは車で1時間かかるので遠いこともあります。 部屋から見える距離にあるS医療センターも受け入れ拒否。 病院が近所にあっても緊急時に受け入れ拒否されてはまったく役に立ちません。 そうしているうちにレスキュー隊が到着したので、受け入れ先の病院が決まらないまま、脱出作戦を開始することになりました。 ストレッチャーを椅子状にしてそこにわたしを乗せて、6人がストレッチャーをささえ一人が呼吸器を持って外階段を8階から1階へ降りることになりました。 時間は19時をすぎています。停電で電気の消えたマンションの外廊下も外階段も真っ暗です。 わたしは救急隊とレスキュー隊の手に身をゆだねてつづら折りの外階段をゆっくり下っていきます。 外階段を降りている最中も余震で揺れます。 足元が暗く余震で揺れる階段を体重が60数キロあるわたしを担いで降りるのは大変だったと思います。 救急隊とレスキュー隊は終始冷静でわたしたちが不安にならないよう対応してくださいましたが、余震で揺れる真っ暗な階段を降りるのはとっても怖かったです。 地面に降りたとき、レスキュー隊員の頭の上に見えた星空が妙にきれいだったのが印象的でした。 救急車に収容されて呼吸器を救急車の電源につないでもらって一安心です。 時間は20時少し前だったと思います。 しかし、受け入れ先の病院が決まりません・・・ [by NAGたま] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|