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カテゴリ:ALS闘病?記
地震発生から約5時間が過ぎた頃でしょうか、 救急隊とレスキュー隊によってマンションの8階から地面に降りることができました。 停電で灯りのついていない真っ暗な建物は地上から見上げるとまるで廃墟のようです。 救急車に収容されて呼吸器を救急車の電源につないでもらってとりあえずは一安心です。 しかし、受け入れ先の病院がまだ決まっていませんのでこのまま待機です。 救急隊員は一度断られた病院へも再度連絡していました。 救急車に収容されててからどれくらい待ったでしょうか、隣町のK病院が受け入れてくれることになり、救急車は走りだしました。 15分くらい走ったでしょうか、停電で街の明かりも信号も消え真っ暗だったようです。 到着したK病院は停電で真っ暗です。非常用発電で必要最小限の電気しかついていないようです。 非常用発電機のエンジン音がかすかに響く中、あわただしく病院スタッフの声が飛び交い野戦病院のような雰囲気です。 人工呼吸器などの非常用電源が使える病室はA病棟2階の重症管理室で、停電でエレベーターが使えないので救急隊と病院スタッフに担がれて2階へ上がります。 ストレッチャーから病室のベッドに移されて呼吸器を非常用コンセントにつないでもらいました。 運よく居合わせた呼吸器の専門医師からやさしい言葉をかけてもらい安心しました。 「あー、助かった・・・」 このとき時間は21時少し前、地震発生直後に停電してから約6時間がすぎていました。 呼吸器のバッテリーは、もって7時間程度と思われるのでギリギリセーフでした。 ふなこさんは救急車でわたしと一緒に来たので帰りの足がありませんから病院で一晩すごすことになりました。 夜遅くなっても余震が何度も続いていたので、二人で一緒に居れたのは心強かったです。 病院に避難している人が何人かいたようです。 K病院は夜中の3時ごろに電気が回復したそうです。 少し眠って、無事、朝を迎えました。 3月12日8時24分 後ろの赤いコンセントが非常用電源 3月12日、明るくなってYさん夫妻がふなこさんを迎えに来てくれました。 わたしたちの自宅のある地域では停電が続いていて信号も消えていて断水で水道が使えなくなっているとのことでした。 このとき、自宅の電気が回復したらすぐ家に帰ろうと思っていたのですが、このあと数日間続いた断水のため予想外に避難入院が長くなるのでした。 [by NAGたま] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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