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マンハッタンで考えてみた

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goodgest2@ 明けましておめでとうございます!! こちらのブログが更新されていたので真っ…
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2008.07.04
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カテゴリ:野球が好き!
 今日は7月4日独立記念日(トムのお陰で覚えたさっ)。

 日が沈んでから友達のアパート(自由の女神が部屋から見える、これぞ!ザ☆ニュ~ヨ~ク・ビュ~)で花火きらきらを眺める予定です。花火と言ったら浴衣よね、手ぶらじゃなんだから旦那さん用とロールケーキを久しぶりにちょき本焼こうかな、昨日試合後1時間半もミーティングしたらしいからヤンキース戦も観なきゃ・・と、祝日でも貧乏性なので自分で予定を作っては楽しんでいます。

 独立記念日ということで、ヤンキースもレッドソックスも守りのときには星条旗をあしらった帽子を被って試合をしています。野球ファンにとって7月4日はルー・ゲーリッグが1939年に"Ferewell Speech"を行った日でもあります。

 ルー・ゲーリッグ(Henry Louis "Lou" Gehrig; 1903.6.19-1941.6.2)は1923年にヤンキースに入団し、1塁手として活躍しました。コロンビア大学(フットボール選手としての奨学金で入学、エンジニア専攻)からヤンキースに入り、1925年から14年間、当時の記録となる2130試合連続出場し、そのタフさから"Iron Horse"と称されました。素顔は物静かで、写真を見る限りなかなかハンサムで優しそう。
 
3番にベーブ・ルースがいながら、生涯打率.340、満塁ホームラン23本という勝負強い、才能に溢れたバッターでした。 

・・と書いていますが、実はNYに来るまでは名前こそ聞いたことがあれど、よく知らない選手でしたわからん。ジョー・ディマジオもサイモン&ガーファンクルの歌で知っていたくらいでしたので。昵懇にしている方の学生時代の研究が一時ALS(Amyotrophic Lateral Sclerosis; 筋萎縮性側索硬化症)だったときがあり、よく知らない私に、ブラックホールなど「宇宙を語」っているホーキング博士や、ヤンキースにいたル・ゲーリッグの病気と説明してくれました。別名「ルー・ゲーリッグ病」ともいうと。

 ルー・ゲーリッグは野球選手として絶頂期にこのALSに侵されました。引退する前年(1938年)のシーズン途中から筋力の衰えを本人が感じ始め、オフに診察を受け、1939年自分から監督に試合に出ないことを伝えました。5月2日のことでした。その日は試合前にルー・ゲーリッグの連続出場記録が終わった旨を伝えるアナウンスがあったそうです。6月に別の病院で診断した結果、ALSの診断がルー・ゲーリッグ36歳の誕生日でもある19日に通知されました。

Lou Gehrig

1939年7月4日の引退セレモニー。このときには既に発病していました。

 あるNYのスポーツライターの提案で7月4日にルー・ゲーリッグを称えるセレモニーを開くことになりました。そこでアメリカのスポーツ史上忘れられないルー・ゲーリッグのスピーチがありました。

(Yet) today I consider myself the luckiest man on the face of this earth.
 
スピーチの全文を読んで、 スピーチを聴く(一部ですが有名な部分は入っています)と、泣けてきます(空も泣いており、試合もただいま雨雨で中断中です)。セレモニーには白いスーツ姿でベーブ・ルースも出席し、ルー・ゲーリッグと肩を組んで話すシーンがあります。実はこの2人、1934年のオフのいざこざ(ルー・ゲーリッグのお母さんがベーブ・ルースの娘さんの服装に茶々を入れたこと)以来、試合外で口をきいたのは初めてだったそうです。

 今年でヤンキースの現球場も終わり。"Final Season"ということで名場面を収録したDVDも発売になっているようですが、必ずCMでもこのスピーチが流れます。この球場で今から69年前にそういうことがあったんですね。ルー・ゲーリッグはセレモニーにも列席していたラ・ガーディア市長に請われて、亡くなる一ヶ月前までコミュニティー(若者の更正施設)で働きました。引退セレモニーから1年11ヶ月後、37歳で亡くなりました。





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Last updated  2008.07.06 23:01:39
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