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カテゴリ:京都
ホームヘルパーの講座に行っていた時、同じ受講生の方と、お弁当を食べながら話をしてました。
その方は兵庫県の西部の出身で、学生時代は京都ですごされたそうです。 自宅から京都へ向かう時、おうちの方が 「京都の人が、ご飯食べて行き、て言われても、けっしてよばれたらダメ、後から何言われるかワカラナイそうだから」 と釘を刺されたそうです。 「そんなことはなかったよー」とその方はおっしゃってました、が、 京のぶぶづけ、の話は強烈なようです。 四国に嫁ぎ先のご先祖様のお墓があって、お参りに行ったことがあります。そのときお寺にもお邪して、お寺の奥様とお話しました。 和尚さんは、以前JA隊に勤めてられ、定年後実家のお寺を継がれたそうです。JA隊なので転勤が多く、京都にもしばらく居たとのこと、 「京都に居た時、ものすごくいじめられたから、京都に良い感情は全くないんです」 いきなり、ビックリしました。 そんなこと、初対面の、しかも、当の京都人に言う、そーいうところが、原因ちゃうん、と思いましたが、「はー」としか言いようがありませんでした。 京のぶぶづけ、って、京都の知人の家に行った時もう帰ろうとしたら、 「いやぁ、もう帰らはんのどすか~、今、ぶぶづけ(お茶漬け)出そー思てたんどすえ~」と言われたので、 「では、せっかくですから」とお茶漬けを食べて帰ったら、後で他の人から 「あの人、ぶぶづけ、おあがりやす言うたらホンマに食べはったんえー」 と言ってた事を聞いてとても嫌な思いをした。 こんな話ですよね。 京都の人は、本音を言わない、素直に信じたら痛い目に合わされる。 京都人はイケズ(意地悪)。 京のぶぶづけ、の話は極端だと思いますが、確かに本音をダイレクトに言うのは、よっぽど親しくなってからです。 「ぶぶづけでも~」と言ったのは社交辞令で、まさか、本当に食べるとは思わなかった。が、本音でしょう。 わざわざ、意地悪しようと「ぶぶづけでも~」と言ったんではないんです、 引っ掛けて、悪口言われたように感じますが、そうでは、無いんです。 まーやはり、意地悪な面もあるのかもしれませんが「ご飯時分にまで帰らずに居るなんて」という要素が無きにしもあらず、ですが でも、京都でなくても、似たようなこと有るとおもうんですが。 例えば、嫌いな物を貰って、誰かにあげても、貰った人に 「この前は結構なものを頂戴しまして、ありがとうございました、美味しくいただきました」とか、言いません? (前に生菓子を15個貰って困ったんですが、美味しかったとお礼を言ったら、すぐにまた15個生菓子を頂いた苦い経験があります) 似てないかな~。例えが悪いかな~。 「帰ります」と言われて「そーどすか」とは言えない、愛想もこそも無い、で「ぶぶずけでも~」となるんです~。 今はこんな事少なくなってきましたが、町中の年配の方はちょっと難しい時があるようです。 言葉の中身を察してください、って言うことなんですが・・・ 京都のひとつの文化ということで、もし、嫌な思いをした方、許してくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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