「ドカーン!」という爆発したような大きな音がして、床の下から突き上げられるような揺れを感じたのが、1995年1月17日朝5時46分。22年前のこの朝は、目覚し時計をセットしていたので、5時45分に目覚め、その1分後のことでしたので、とても良く覚えています 。
その直後に大きな横揺れが起こり、そこでやっと地震と気付き、頭に座布団を被って、もう一度布団に潜り込んで、揺れが静まるまでじっとしていました。
そう、阪神・淡路大震災が起きた朝の出来事です。箪笥の上においてあった、とても重いMDデッキが、ドスンと床の上に落ちてしまいました。
これは震度4くらいかな、と思っていたら、マスメデイアは、当初は岡梨奈孝至の住む北大阪地方は、震度3と報じていました。その数日後になってやっと、震度4に訂正されたのを、よく覚えています。
スキー帰りの若者が乗っていたバスが、地震で半分崩れた高速道路に、かろうじてぶら下がったような状態で、乗客全員が無事だった衝撃的なニュースは、今でも瞼の裏に焼き付いています。
その後、ラジオで放送される死者の数が、30分毎に2桁から3桁、それもどんどん増えてゆくのに、とても驚かされ、この分では犠牲者は何人に達するのか分からないな、と思っていました。最終的には6,400人以上に達したのは、周知のとおりです。
そのあと、さすがに緊急時の避難や家族同士の連絡法について、真剣に話し合って、幸いその後、22年経ちますが、あのような災害に出会わずに、今日に至っています。