歳の瀬も押し迫った寒い午後。空を見上げると、透けた雲と同じ濃さの、半分欠けた月が、その存在を主張しているように見えます。
そういえば小学四年生の時だったでしょうか。国語の教科書に、俳句についての記載があり、その中に、次の一句がありました。
背中の 妹が見付けた 昼の月
俳句というのは、文字の数が五七五であるのと同時に、詠んだ時の季節を表す『季語』を読み込むことが必要だ、と教えられていたのですが、この国語の教科書では、あまり季語にとらわれず、心の感動を詠うことが、いちばん大切だ、と教えていたようです。
なぜかこの一句が、頭にこびりついているのは、どうしてでしょうか。
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最終更新日
2017年12月28日 16時14分59秒
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