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オカルトな視点で見てみると世の中不思議なモノだらけ

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2011年04月22日
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カテゴリ:ヘミシンク
人類「卒業」

 本書は、私がブルース・モーエンにインタビューした内容を収めたものである。


 
 ブルース・モーエンは『死後探索』シリーズ4巻の著者であり、その著書は「レトリーバル」におけるバイブル的存在になっている。
 


 ブルースは、このシリーズの中で、モンロー研究所のへミシンクを用いた非日常的体験について詳細に述べている。
 


 中でも死後世界の探索体験は、人が死後どういう世界へ行くのか、どういう手助けが得られるのか、そこではどういう原理が働くのか、について多くのことを明らかにした。
 


 また、死後世界の中のフォーカス23~26と呼ばれる領域に留まっている人たちを救出する活動についてこと細かく記述し、後に続く人たちに大きく道を拓いた。
 



 
 ブルース・モーエンも私もロバート・モンローの著作に大きな影響を受けている。
 


 モンローの本との出会いが、その後の人生を大きく変えてしまったという点ではまったく同じである。
 


 私は死に対する大きな恐れを子供のころからもっていた。
 


 夜寝る際に、死について考えていると、真っ暗な世界に落ちていき、とてつもない恐怖を味わうことが時としてあった。
 


 その後、大学で物理学を専攻し、死後は無と考えるようになったのだが、だからといって、この怖れが解決されたわけではなかった。
 


 死の問題の解決を半ばあきらめていたのだが、1989年にロバート・モンローの本に出会ったことが大きな転機となった。
 


 モンローは体外離脱という方法で、驚くべきことがらを見出していた。







・人は死を超えて生き続けること



・死後にはさまざまな可能性が広がっていること



・人はこの地球という学習システムの中で多くの生を経て学びを得ていること



・それを手助けする多くの生命存在たちがいて、すべての人に手を差し伸べていること







 モンローはこういったことがらを自らの直接体験で知ったのだ。
 


 知ることで、彼のもっていた死後に対する旧来の信念は崩れ去った。
 


 彼は、体験によって知ることのみが、人の信念を変えることができると考えた。
 


 人の体験話を聴くだけでは信念は変わりにくいのである。
 


 そこで、みなが自ら体験することで、死後という未知なる領域を既知としていくことはできないだろうか、とモンローは考えたのである。
 


 彼がしたように死後世界を自ら体験することができれば、みなの考えも変わることができる。
 



 
 その目的で開発されたのが、へミシンクと呼ばれる音響技術である。
 


 へミシンクとはモンローの造語で、左右の両脳が同期するという言葉から作られている。


 モンローは、また、へミシンクを効果的に、かつ、系統だって体験するためのプログラムをも開発し、モンロー研究所に滞在することで体験できるようにした。
 


 さらに、テープやCDという形でも体験できるようにした。
 



 
 私はモンローの著作を読み、その影響で、自らも体外離脱を体験するようになった。
 


 ただし、モンローのようには死後世界へ行くことはできず、もっぱら自宅のまわりをうろちょろする程度だった。
 


 当時市販されていたへミシンク・テープはフォーカス12と呼ばれる状態までで、それでは死後世界は体験できなかった。
 



 
 死の恐怖を解決するためには、どうしても死後世界を体験する必要があり、そのためには、モンロー研究所に行く必要があった。
 


 ブルース・モーエンの本に出会ったのは確かそのころのことである。
 


 私は死後世界についての興味からそれらをむさぼるように読んだ。
 


 彼の本は平易な英語で書かれていて、しかも感覚的ではなく論理的に書かれているので、理解しやすかった。
 


 彼が技術者としてのバックグランドをもつということからも自分と似ていて親しみがもてた。
 



 
 私が初めてモンロー研究所で開催されるへミシンク・プログラムに参加したのは2001年4月である。
 


 それ以降、年に3回のペースでさまざまなプログラムに参加するようになった。
 



 
 そして、2005年の3月に参加したスターラインズというプログラムで、ついにブルース・モーエンに会った。
 


 会った瞬間に、なにか強いつながりを感じ、初めて会った人なのに、まったくそんな感じがしなかった。
 


 そういう人は初めてである。後で聞いたところ、彼もそのとき、そういう感覚をもったようだ。
 


 


 私はへミシンク普及のために2005年に(株)アクアヴィジョン・アカデミーを設立し、その後、モンロー研究所の公認レジデンシャル・トレーナーにもならせていただき、モンロー研究所の公式プログラムを開催してきている。
 


 それに対し、ブルースは、モンロー研究所の公認トレーナーになる道は選ばず、今ではへミシンクを使わない独自のワークショップを米国だけでなく、日本を含む世界各地で開催している。
 


 さらに、日本では彼のワークを行なう専任トレーナーを5名養成した(2011年3月現在)。
 


 これだけの人数のトレーナーが生まれたのは日本だけとのことである。
 


 日本での彼の認知度の高さがうかがい知れる。
 



 
 今回のインタビューは、ワークショップ開催のために来日したブルースに、横浜元町のキネシードライト株式会社のオフィスでお会いして行なった。
 


 私は、彼が本で述べていることについて、いろいろと尋ねたいことがあった。
 


 本の記述だけではどうしても理解できないことがあったのだ。
 



 
 
 また、『死後探索4』以降にどんなことを見出したのか、どういう新しい知見が得られたのか、ということにも興味があった。
 


 『死後探索4』の原書が出版されたのが2001年だったので、それ以降10年近くの間に何か新たな発見はあったのか、知りたかった。
 



 
 このインタビューは、そういう意味で、絶好の機会を提供してくれた。
 


 ブルースは私のさまざまな質問に実に丁寧に答えてくれた。
 


 私の見方と違うところも一部あることがわかり、インタビュー後に、さらにメールのやり取りで突っ込んでお聞きすることになった。
 

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第1章 呪われたホテルでのワークショップ



第2章 他者への奉仕



第3章 2012年、アースチェンジ



第4章 ディスクへの帰還



第5章 私たちはロバート・モンローと同じディスクに帰属しているのか



第6章 自らの側面のレトリーバル



第7章 純粋で無条件の愛の体験















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最終更新日  2011年04月22日 23時14分13秒
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