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カテゴリ:腐女子的ひとりごと
この頃何をしているのかと言うと、何にもしていないσ(^◇^;)。。。
PCの前に座っていながらボケボケしているだけで、NETサーフィンもまともにしていないし。 お友達のブログを眺めて……ほけほけ……。 力入れて作業している時はそれなりに進む。 ドラマCDはサクサク聴いて、本もサクサク読んで、 未読未聴の切り崩しがサクサク進む……のは持続力無し。持って1週間が関の山。 サクサク進まない時だって読んだり聴いたりしていますよ、勿論! 聴いている時読んでいる時は、それなりに色々思いながらだから、 語れと言われたら感想はちゃんと出て来るのだ。 でも、文章に書き出すところまで持ってくるのが茨道。 書きたい!語りたい!と言う気持ちが薄くなってきているのかな、多分。 どうしても!! ……と言う思いをどこかに置き忘れてきてしまったようで。 それに……。 BLを読み始めて気が付いたら10年を超えていた。 読み始めの頃はまだまだ初心者ビギナー♪なんて言っていたけど、 あの頃は幸せだったのだろうな(苦笑) 今みたいに氾濫するほどの物が無く、出す方も読むほうもまだ手探り模索な感じが有ったから。 完成度とかクオリティの高さは今ほど望めなかったとは思うけれど、 熱意と意気込み魂込めてます!って感覚は考えられないくらい溢れていた。 今は型に嵌められた物が多い。 お約束に則って……書かれていれば安全。それなりにニーズはある。猫も杓子もブーム。 悪い事では無いけれど、飽きるんだよね。 大いなるマンネリと言う言葉は好き。 お約束に則って進められて行くお話でも、面白いから。 それは確立されたキャラというものが有るからなんじゃないかな。 でもね、型にだけ嵌めてお約束に則って……と言われたって 理不尽さと不自然さとか強引さだけが際立っちゃって、それは如何にも可笑しな話になってしまう。 変なんだけど、変だと感じさせない力量と言うものが欠けている物が多いんだよね。 昔は好んで読んでいたものが、今は何これ阿呆じゃないのと思ってしまったり、 馬鹿かコイツ、……ガキ、アンタそれでも大人?年齢詐称、もう一編学校行ったら~等々、 そんなことを思いながら読む本の数々、聴くCDの数々。 何か情けなくてね。 例えば感想を書くとして、「クッダラナイ」と切り捨てるような文章を誰が読みたいと思うのか。 でも、浮かぶ言葉は否定的な物の方が圧倒的に多いこの頃。 そんな感想なら書かないほうが良いよね――自分に対する否定。 だけど、面白かったもの、絶賛しちゃうようなものでも……言葉が出てこないんだよね。 それに。自分がズレて来ているなぁと言うのが感じられる。 最近の本でも漫画でも、読んで見たいと思うものが少ない。 読むのも、今までに読んでいたお馴染みの作家さんが殆どになってしまい、 新しい人、読んだ事の無かった人にまで触手を延ばしたいと思わないのよ。 帯の煽りも、裏の粗筋も「ふん」で素通りしてしまう。 惹かれるものが無い――。 ……淋しいなぁ。 感想を読む人は、共感を得たいという気持ちが強いと思う。 自分が良いと思ったものを他の人にも良いと思って貰いたい、認めて欲しい。 否定されるのは自分の感性まで否定されるような、悲しい気持ちになるんじゃないのかなぁ。 私の感想はあくまで私のもの。 他の人は自分の感性で感じれば良い。 誰に否定されても自分はこれが好きだ!と思える作品に出会えたならば、 それはそれで幸せだと思う。 あなたはそんな作品に出会えましたか? 私が、自分の趣味はマイナーと言ってしまうのはその点。 私が好きなのは、私が好きなだけ(微笑) 他の人に否定されてもね、好きなものは好き。でも、悪口は見たく無いな、身勝手だけど。 思ったままに批評批判をすれば、悪口を書いた心算ではなくてもそう受取られかねない事もある。 ファンの立場にしてみれば、些細な事でも気に触る。 言い掛かりに理不尽さを感じるけど。 共鳴と共感を求めたいのなら、他の人の感想なんて読むもんじゃない。 貴方の感想は貴方だけのもの。 なんてね、言いたくもなるのよ。 人の感想は人の物。 ――トラウマだなぁ。 自己完結型。独りよがりな思い込み。年齢詐称的幼さ。つまりはガキ。 BLのお約束の上に胡坐を掻いただけの話。 それだけで綴られる話の多さに辟易としてしまった。 例えそれらで溢れていても、それらを凌駕して余りある魅力の有る話が無い訳では無いけれど。 筆力自体が乏しい人たちが雨後の筍の如く。 それならば、5年後、更に10年後。 どれほどの人が残っているのか。 淋しいのは、10年前とても好きだった人、幾人かが既に居なくなっている。 それぞれの事情はあったにせよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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