宮城県内の戦災はどうだったのか
太平洋戦争で米軍は6大都市の空襲の後に、中小都市を標的として、仙台市と、海軍防備隊基地の女川町を攻撃した。○仙台 昭和20年3月10日、7月3日、7月10日にB29空襲。特に7月10日の大空襲は午前0時3分から約2時間半にわたり、市内中心部や川内地区が火の海。死者1,066人、負傷者1,689人、被害家屋11,933戸、罹災者57,321人(当時仙台市人口26万人)。 第二師団、仙台駅、青葉城大手門、瑞宝殿などを失う。 宮城県全体では死者1,170人、負傷者2,018人、建物12,821戸と言われている。以下に仙台市以外の概況。○亘理町 8月10日午前9時頃に、亘理駅発仙台行き列車が吹田付近でグラマンの機銃攻撃を受け、死者6人、負傷者多数。○名取市 7月9日、10日の仙台空襲で、高舘に焼夷弾が落とされ、熊野堂や川上部落で68戸が被害。○岩沼市 6月から飛行部隊104部隊が駐在した矢ノ目飛行場(仙台空港)に空襲。7月11日午前11時に、空襲による火事で玉浦・千貫地区の11戸全焼。8月10日に岩沼駅が空襲受ける。○塩釜市 昭和19年12月29日空襲、死者1名、負傷者13名、462戸(2,142名)被害。○古川市(現大崎市) 8月10日田尻方面から数機が台町に爆弾を投下。死者7名、負傷者8名。○小牛田町(現美里町) 8月9,10日の2度、グラマン十数機が小牛田駅の鉄道施設や野田橋を攻撃し、死傷者。○矢本町(現東松島市) 8月8,9日、金華山沖の米軍空母艦載機が矢本飛行場(松島航空隊)を攻撃。○石巻市 8月10日、海軍の造船所(中瀬)に艦載機が船を狙って攻撃。電話局や小学校も被害。死者数名。○女川町 8月9日早朝から10日にかけて、グラマン編隊が海軍防備隊基地である女川港から町中心部までを、機銃掃射。町民は防空壕で過ごす。乗組員など200名が死亡。日本軍が駐屯した江ノ島も攻撃され、死者19人、負傷者16人。○気仙沼市 8月8,9日の昼夜、グラマン編隊が亀山スレスレに飛行し、梶が浦、浪板、内の脇方面に爆弾投下、機銃掃射。鹿折地区で死者18名。参考:宮城県図書館協会編著『郷土みやぎの姿』1985年、宝文堂出版販売■関連する過去の日記 藤井前市長の話(06年7月13日)