北の地で考えた大震災 as a stranger in Sapporo
先日、編集長は突然ながら札幌に行ってきました。震災の対応や何やらで県内を駆け回る日々ですが、ひととき別世界に隔離されたような気持ちで、しかし逆に、改めて震災は何だったのかを突きつけられたような気がしました。暫定運用中の仙台空港は、メカニックの出入口らしき所からエプロンをバスで平面移動。しかし、被害の中でも何とか都市間輸送の大動脈を機能させる関係者方々の意気を感じました。札幌での用事を終えて2日目は、翌朝の飛行機まで時間があり、ひとり散策にふけりました。小樽では港を望み、北大のポプラを眺め、また札幌都心の喧噪に身を委ねていました。札幌も小樽も何度か訪れたことはあり、懐かしい風物に加えて新しい建物なども発見できて、それなりに楽しい一人旅ではありましたが、折につけ思い起こされるのは大震災と被災地。やっぱり現実の出来事だったのだ、と北海道の風景を鑑賞しながら、その地その時のただ中にあっては何が何だかわからないのかも知れず、なぜか北海道にいて故郷の現実を重く受け止めたような気がしました。涼しい北の夏の夕。ビールの泡は、腹の中で涙になって沁みていきました。札幌駅の横断幕をはじめ、随所に応援のメッセージも。現実は現実。動き出すしかない。進むしかないのです。