合格発表と予定説
我が子は受験生。センター試験も終えて、二次対策にいそしんでいる(ようである)が、推薦の出願もしたので、自分のセンター自己採点をもって合格となるかどうか、審判の時を待つ気分のようだ。人事を尽くしたのなら、もう結果は客観的に決まる。自分が合否を知るかどうかのタイミングは何の重要性もないのだよ、などと親は話す。気にしても仕方ないから、二次対策に集中したら、という気持ちで諭しているのだが、そういう親としても、合否のわかる時点までの緊張感や気になる気持ち、また、発表前までは一生懸命勉強する姿勢を示そうというある種の信心深さをもっているような、受験生の心理もよくわかる気がする。私も、大事な発表や宝くじの当選番号を読む前には、善行に努めるという実は情けない小市民である。ところで、受験生が知る前に結果は全く客観的に決まっている、という話をしながら想起したので、カルバンの予定説の話をした。子:でも、それだと誰も努力しなくなるよね。父(おだずま編集長):たしかに、誰が天国に行くかは当人の努力にかかわらず予定されている。人間たちは自分が選ばれているかどうかはわからないし、努力で運命を変えることも絶対にできない。しかし、神が選ぶ人間は堕落した人間であるはずはない、と予想はできるだろう。子:あ、なんかそんな話聞いたこと有るよ。1年の倫理で。あれは、良い授業だった。良い先生で。父:過去も将来もお見通しの神様なのだから、今からの改心や努力も含めて人間を見ている、というよりその人間の運命を完璧に支配しているはずなのだ。とすれば、信者はいっそう信仰を深めることにより、「あらかじめ神が選んだ人間」らしく振る舞うことになるだろう。それでも選ばれているかどうかは確信はないとしても、だ。子:やっぱりマジメになるよね。審判を待つ受験生...父:まあ、近いかもしれないね。そして、勤勉に働いて、天職という考えができて、マックス・ウェーバーが利潤を大きくすることを正しいとした。だから、資本主義が正当化されて産業革命も起きた。科学の誕生や民主主義だって、宗教革命から始まったヨーロッパの固有の精神なのだね。日本人のようにぐらついていない、はっきりした精神基盤があるのだ。子:宗教は強い。父:だいたい、憲法だって欧州の歴史の産物で、日本人は皆誤解しているが...(もう話が噛み合わない。)