平田五郎の力試し石 画像です
先日、利府の延慶の碑について書きました。■関連する過去の記事 平田五郎の力試し石(2015年2月23日)県道利府バイパス(いわゆる利府街道です)を走って仙台市と利府町の境を過ぎると、ちょっとした坂道になります(化粧坂)。坂を上って吉野家の先。グランディ21に曲がる大きな交差点の手前。道路沿いに所狭しとばかりに、板碑と説明の看板がありました。看板には、狐の伝説が書かれています。碑の前には、藁に御幣、また茶碗に水が供えられていました。地元の方なのか、あるいは原町小学校隣にあるという平田神社でお世話しているのでしょうか。たまたま通る機会があったので、写真を撮りました。毎日車でここを走っているとしても、おそらく気がつかないのではないでしょうか。三原先生の著作をもとに先日書いた記事では、板碑は2つ並んでいて、「ア」ではなく「アン」の方が力試し石だ、とされています。現地には碑は一つだけ。梵字は「ア」です(との説明書き)。すると、ちょっと食い違うようにも思われますが。おそらく、最近まで別の場所に2基並んでいたものが、利府バイパスの工事の際に、用地の提供に伴う建物の建て直しなどの事情で、石碑を移す必要が生じて、1基だけを路傍のこの場所に移したのではないだろうか。残る1つは、もとの場所にひっそり残っているのか、あるいは残っていないのかもしれません。そして、もとの場所とは、浜街道(利府街道の旧道)沿いだったのではないだろうか。旧道は、この地点の付近では、利府バイパスと平行してすぐ西側を走っています。三原先生の文章では、平田五郎と狐の話で、神谷沢(利府町)の浜街道で神谷川にかかる土橋、という言い方が出てきて、今も平田橋がある、と書いています。五郎のいた藩政時代には、この付近で浜街道に土橋があって、そのそばに石碑2つがあったのでしょう。平田橋も神谷川も碑のまわりにはないのですが、いつか旧街道を歩いて探してみましょう。石碑に刻まれた延慶の時代は、鎌倉時代の後半の頃ですが、すでに浜街道(利府街道の旧道)は成立していたのでしょう。何かの供養か、旅が無事であるよう御加護を願ったのか。はるか中世の人々の思いが刻まれた碑が、いまは車で飛ばすせっかちな現代人を見守っています。