仙台・宮城と雄藩(雄県)を考える
仙台藩が雄藩だったとか、そのアナロジーだろうが、東北の雄県と冠して宮城県を論じる風がある。存在感を放った大藩の誇りを示す枕詞としてさほど気に留めていなかったが、ある雑学本を眺めていて、「雄藩」の意味に自分が無知だったことに気づくとともに、不安感を覚えた。■小和田哲男監修『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365 歴史編』文響社、2021年(218雄藩、のページ)雄藩の説明として、天保の改革で幕政立て直しを模索しているころに、藩政改革に成功して、経済力と軍事力を背景に幕末維新期に国を動かす原動力となった藩のこととしている。文章中では、薩摩、長州、肥前、土佐、宇和島などの外様藩や、水戸、越前などの親藩が紹介されている。とすると、「雄藩」とは、藩政改革がうまくいって、幕末から明治日本への歴史で主役となったダイナミックさをもつ藩になるが、その呼称は、明治初期にでも誰かの著書や新聞論調などで定着したのだろうか。仙台藩が列するのは無理があるように思うが、西南諸藩偏重の明治改革に対して反骨の精神をもって、我こそ雄藩なり、という気概で明治以降の仙台人が意図的に自称したのだろうか。それとも、そもそも藩内体制刷新や維新のダイナミズミとは別に、藩政期全般を通して経済力をもった藩に「雄藩」の語を当てた文献があったのかも知れない。あるいは、最初はダイナミズムだったが、どこかで経済力や規模の大きい藩を漠然と示す意味にも使われるようになったのか。この辺は深読みが過ぎるかもしれないが、いずれにしても、仙台の人が「雄藩」というときに、全国的な観点からは違和感を惹起するのではないか、アレまた仙台人の独りよがりダネと言われないか、というのが冒頭に記した自分の「不安感」だ。大したことではないかも知れないが。それにしても、仙台・宮城の人は「雄藩」や「雄県」をよく言うと感じる。他と比較してみよう。まず、宮城県議会の議事録(ネット)をみてみた。代表的な言い方と思われるものを紹介する。■雄藩(ヒット7件)事例(1)「我が宮城県は奈良朝時代既に国府を置かれた樞要な地であり藩租正宗公仙台に治府以来天下の雄藩として独特の地方文化を創造して重きをなして...」(昭和22年、県史編纂を進めるべしとの意見書の中で。漢字はママ)事例(2)「当時、仙台藩主だった伊達政宗公の指揮のもと、復興事業が始まり、米や木材等を運ぶ運河、沿岸部の新田開発、更に製塩業の振興など次々に手が打たれ、この時の挑戦が後に実質百万石と言われる雄藩に成長する基礎となりました...」(平成28年)事例(3)「河北新報社発刊の「宮城県百科事典」では次のように解説しております。県名の由来、1871年、明治4年、仙台藩は仙台県となったが、政府部内に仙台という名は過去の雄藩を連想させるとして翌年1月8日宮城県に改称したと言われる...」(平成29年、多賀城跡の整備を促進すべきとの質問で。)ここに掲げた3事例以外に、本来(たぶん)の「雄藩」の意味(ダイナミズムある藩)に忠実といえるものもあるが、大半のヒット例は、これら事例のように仙台藩が「雄藩」だったという認識だ。つぎに、「大藩」と「雄県」を確認してみよう。■大藩(ヒット1件)(仙台・宮城に関わる発言ではない)■雄県(ヒット49件)事例(1)「東北の雄県であります本県の警察長を拝命いたしましたことを光栄に存じます...」(昭和23年)事例(2)「こうした宮城県の貧弱さ、かつて全国に誇る雄県として認められておつた宮城県が、かような状態にある一事をもつてしても...」(昭和26年)事例(3)「こういったデータによって他県と比較してみると、かつて東北の雄県と言われた宮城県の姿は、随分かすんできたなというのが実感であります...」(平成16年)「雄県」は、ほとんどの場合「東北の雄県」という表現が定着しており、だから他県に先を越されるべきでない、とか、それに相応しい基盤整備をせよ、などの文脈で用いられている。中には、近代の宮城県の地位(東北の中心として官公所などが置かれたなど)を重視するものもある。語呂はともかく、「雄藩」との歴史的連続性が意識されている訳ではないと感じる。さて、他県はどうだろうか。(ヒット数は、検索対象期間などが異なり一概に比較できない。)■石川県議会「雄藩」(ヒット1件)例「まさにこのことが百万石という雄藩をつくる礎になったのではないか...」(平成14年)■同「大藩」(ヒット4件)例「まさに旧百万石の大藩の面影とそのすばらしい様は、また新たなる大きな観光の目玉ともなり...」(平成3年)■同「雄県」(ヒット17件)例「裏日本の小県であった石川県を今やさん然と輝く日本海側の雄県、トップリーダー県に押し上げられたのはほかならぬ谷本知事の卓越したリーダーシップによる...」(令和4年)例「北陸国際空港建設という大きな視点で見た場合、北陸の雄県として隣県との連携をどのように...」(平成3年)石川県では、「北陸の雄県」などと言われるようだ。■岩手県議会「雄藩」(ヒット1件)西南雄藩との語法だ。■同「大藩」(ヒットなし)■同「雄県」(ヒットなし)■鹿児島県議会「雄藩」(ヒット1件)「近代日本の黎明期、西国の雄藩薩摩は、西洋の文明を先駆けて取り入れ、明治維新の原動力となりました...」(平成6年)■同「大藩」(ヒットなし)■同「雄県」(ヒットなし)雄藩や雄県なるワードに対する思い入れは、仙台・宮城に特有かもしれない。江戸時代の経済大藩という歴史認識に加えて、明治以後も東北の中心という位置づけがされた事実をもとに、本来(たぶん)の意味の「雄藩」に対しては意図的か無意識的かは別として、わが郷土を称揚する決まり文句として、あるいは、現状改善を訴えるスローガンとして多用され続けてきた、というあたりだろうか。(雄藩の表現の経緯については、資料や論考があると思われます。当ジャーナルでも課題としてまいります。)■関連する過去の記事(仙台・宮城の県民性や歴史認識などに関しては、下記以外もあります。フリーページ記事リストをご覧ください。) 三柄大名(07年8月17日) 見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土(06年4月2日) 仙台・宮城人怠け者論を考える(09年11月11日)(明治末年の出来事) 仙台・宮城の気風を再び考える(06年7月3日) 肝付兼武のこと(06年6月13日) 仙台文化を理論的に解明?(06年2月17日)