元禄潜穴第6ずり出し穴(松島町根廻)
元禄潜穴のずり出し穴(竪穴)10か所のうち、第6ずり出し穴が町指定文化財として保存されている。東北本線の貨物列車が過ぎていく。画像の左手に、後に紹介する説明版2つが並ぶ。国道346号を根廻交差点北から分岐して、旧山線橋梁跡から東北本線と並走する町道(旧山線跡)が、根廻トンネル、大菅踏切(新線と旧山線の分岐)を経て松島第五小学校や品井沼駅に向かっていくが、この町道沿い東側にある。(下の画像は、後出の現地説明版から地図部分)説明板がある。(なお、地図部分は拡大して上に掲示。想像図は読み出しメモの後に拡大掲示しました。)------------町指定文化財「品井沼潜穴」元禄排水路とずり出し穴 品井沼はかつて東西5.6km、南北3km、面積にして80km2におよぶ大きな沼でした。この水を松島湾に流すために掘られたのが「品井沼潜穴」です。 江戸時代、元禄6年(1693)から5年間にわたって工事が行われました。当時はトンネルをまっすぐに掘るのは難しく、「ずり出し穴」という竪穴をいくつも掘って、その間を繋げる形をとりました。 ずり出し穴をどのように掘ったのかは、くわしく分かっていませんが当時の技術を考えると、下の図のようだったのではないでしょうか。「のみ」と「かなづち」で堀り進めた土を背負って運び、ずり出し穴の下からはクレーンのような「神楽算」(かぐらさん)という道具で引き上げたと考えられます。 機械もない時代の苦労がしのばれます。穴頭(あながしら)など他の遺構もぜひご覧ください。北部平堀(ひらぼり)(品井沼から穴頭まで) 長さ1,754m元禄潜穴 長さ2,578m南部平堀(穴尻から松島湾まで) 長さ3,065m松島町教育委員会お問い合わせ 022-354-5714------------もう一つの看板は、おそらく上記の町教委の説明板より少し新しいと思われるもの。------------③元禄潜穴 -ずりだし穴(現在地)- 元禄潜穴は、品井沼の排水を目的として元禄年間に多くの人々の力で掘られたトンネルです。工事の方法や使われた道具、その費用について記録は残っていませんが、縦穴(ずりだし穴)10箇所、横穴21箇所の工事をおこなった記録があります。品井沼と松島湾の高低差が1メートルくらいしかなく、トンネルの長さが2578メートルあるため、まず縦穴を掘り、縦穴と縦穴の間に横穴(潜穴)を掘る方法が考えられています。元禄年間の工事や後の改修工事では現在のような安全な作業ができなかったので、多くの犠牲者があったようです。(元禄潜穴工事内容)①北部平堀(品井沼から穴頭まで) 長さ1754m、幅27m、深さ2m②潜穴(穴頭から穴尻まで) 長さ2578m、幅3.6m、高さ2.4m(2連)③南部平堀(穴尻から松島湾まで) 長さ3065m、幅18m、深さ2m④縦穴(ずり出し穴) 10箇所設置者 元禄潜穴地区県営地域用水環境整備事業推進委員会/宮城県仙台地方振興事務所/松島町【この看板は、平成18年度地域産業振興事務所(体験観光支援事業)により設置されました。】(水土里ネットのイラストと説明)------------(関連サイト)・地域用水整備事業「元禄潜穴」(宮城県)・江戸時代の偉業「元禄潜穴第6ずり出し穴」(松島観光ナビ)・品井沼干拓の歴史(松島町)■関連する記事 品井沼開拓資料館、元禄潜穴入口、品井沼駅(2024年06月12日) 元禄潜穴第6ずり出し穴(松島町根廻)(2024年06月11日) 明治潜穴公園(松島町幡谷)(2024年06月10日) ふれあい広場(明治潜穴出口、松島町根廻)(2024年06月09日) 元禄潜穴の穴尻、一分間停車の碑(松島町根廻)(2024年06月05日) 東北本線旧線(山線)の跡を訪ねて(その12)愛宕駅、高城川架橋(2024年06月03日) 青木存義(松島第五小学校の碑)(2024年05月25日)(品井沼干拓、鳴瀬川吉田川問題などについては、当ジャーナルの一大課題です。近日中に記事にいたします。編集長)■関連する過去の記事(宮城県内の河川改修など。これらの他、貞山堀などの記事もあります) 川村重吉(2024年01月22日) 川村孫兵衛重吉(2012年6月21日) 船で脇谷閘門を通過する(2010年11月14日) 仙台・宮城人怠け者論を考える(09年11月11日)=皇太子の一分停車について記載あり 北上川改修の歴史と流路の変遷(08年2月17日) 北上川流域の「水山」(08年2月11日) 高城川を考える(06年8月26日) 七北田川を考える(07年10月3日)(寛文の流路変更)