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2024.08.17
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カテゴリ:宮城

利府街道(県道8号仙台松島線)を岩切から利府町に入って間もない辺りにある碑の説明板が、いつの間にか、新しくなっていました(以前の説明板の画像は末尾掲出の過去記事に)。









過去に記事を書いた頃は、神谷沢の浜街道で神谷川に架かる土橋と三原良吉氏著作にあることから(末尾掲出の過去記事参照)、平田橋は神谷沢のこの碑の辺りだろうと思っていました。私が図書館で町史などを調べると、伝説の紹介はあっても橋の記載はなかったのでした(2015年3月現地探索?した過去記事あり)。しかし最近、利府町のボランティアサークルの方々(りふdeおは梨)が作った絵本『平田五郎』を手にしました。町のことを知り、足で調べて、子どもたちに読み聞かせる素晴らしい取組に敬服しますが、仙台市宮城野区原町の平田神社が関係するということです。たしかに、原町の松原街道(国道45号から利府街道ガス局交差点方面に出る旧道。坂下交差点を経由しない近道ルート)で梅田川を渡るのが、平田橋です。

さて、新しい説明板の内容を、以下にテキスト文で示します(振り仮名は適宜当ジャーナルで括弧書き追記)。
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延慶の碑(えんきょうのひ)
- Enkyou's monument -

鎌倉時代、延慶3年(1310年)に建てられた石陣で、板碑(いたび)と呼ばれるものです。高さ約1.4m、幅約1.25mの砂岩の巨石に「大日如来」を意味する「ア」という梵字(古代インドのサンスクリット語)が彫られています。その下には「延慶三年二月二七日敬白」と刻まれています。

板碑は、鎌倉時代に北関東地方に始まり、室町時代にかけて県内でも盛んに建てられました。梵字によって自分が信じる仏様を現し、それを敬うことにより、親や先祖のあの世での往生を願いました。この碑には、平田五郎という人にまつわる伝説があり、昔から「力試石(ちからだめしいし)」とも呼ばれています。

The stone monument was built in the 3rd year of Enkyo (1310) during the Kamakura period, and is called an "Itabi".

The Sanskrit character "A" (ancient Indian Sanskrit word), which means "Vairocana", is carved on a giant sandstone with a height of about 1.4m and a width of about 1.25m. There are words "February 27th, the 3rd year of Enkyo (1310)", "Sincerely" engraved in the lower part of it.

"Itabi" began in the Northern Kanto region during the Kamakura period, and was also actively buift throughout the prefecture until the Muromachi period.

The Sanskrit characters represent the Buddha they believe in, and by respecting them, they wished their parents and ancestors to remain peacefully after their death.

There is a legend about a man named Goro Hirata who use this monument to test his strength by lift it up, and that is the reason it has long been called the "Chikara Dameshi Ishi" (strength test stone).

「延慶の碑」にまつわる力試し伝説

江戸時代の初め、平田五郎という男がいました。五郎は伊達政宗に仕え二百石を拝領し、利府本郷(利府、館、大町の辺り)に住んでいました。

ある日仕事から帰る途中、神谷沢にある神谷川の土橋で、きつねが落としていった玉を拾いました。その夜、五郎の前にきつねがあらわれ、「あの玉がないと仲間のところに戻れません。玉を返していただければ、そのかわりに怪力を身につけて差し上げます。」と懇願されました。五郎はきつねが可哀そうになり、玉を返してあげました。

翌日、五郎は試しにこの延慶の碑を持ち上げると、まるでわら束を持ち上げるかのように軽々と持ち上げることができました。そのことがあってから、人々はこの碑を「力試石」と呼ぶようになりました。

令和5年8月 利府町教育委員会
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■関連する過去の記事
 利府町の埋蔵文化財(2022年5月7日)=板碑、延慶の碑について
 平田五郎の力試し石のあった神谷川と平田橋を探して(2015年3月28日)
 平田五郎と力試し石 画像です(2015年2月27日)
 平田五郎と力試し石(2015年2月23日)





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最終更新日  2024.08.17 12:29:32
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