カテゴリ:仙台
いつか訪れたいと思っていましたが、念願かない、過日行ってみました。小学校のすぐ脇、昔は小高い場所で背後は清水沼が広がっていたのか、などど想像しながら拝観しました。延慶の碑から平田五郎の伝承をたどってきたのですが、平田氏とともに志田郡堤根から遷宮した神社ということもわかりました。 この記事の最後に説明の内容(テキスト)を掲げています。 ■今回探訪のシリーズ記事 ・今回 平田神社(宮城野区原町二丁目)(2024年08月22日) ・原町苦竹の道知るべ石(宮城野区原町三丁目)(2024年08月23日) ・平田橋(宮城野区原町三丁目・五丁目)近日中に公開します ■関連する過去の記事 延慶の碑(平田五郎)の新しい説明板(利府町)(2024年08月17日) 利府町の埋蔵文化財(2022年5月7日)=板碑、延慶の碑について 平田五郎の力試し石のあった神谷川と平田橋を探して(2015年3月28日) 平田五郎と力試し石 画像です(2015年2月27日) 平田五郎と力試し石(2015年2月23日) ■関連する過去の記事(付近の地域) 清水沼のこと(10年9月8日) ■関連する過去の記事(松原街道の関連) 比丘尼坂(2023年09月05日) 大須賀森(鶴ヶ谷カトリック墓地)(2023年09月04日) 御立場町(2023年09月02日) 小鶴城跡(2023年09月01日) 南口新設 変わるか岩切駅周辺(2016年2月14日) 七北田川の自転車道、中野小学校、日和山(2015年11月22日) 今日の七北田川(2015年9月13日) 仙台のアイヌ語地名(2013年4月18日) 燕沢の地名を考える(再論)(2013年4月14日) 四野山観音堂(2013年4月2日) 多湖の浦と田子(2012年11月8日) 茨田踏切(2011年12月31日) 仙台のロータリー(その4)東仙台5丁目(2010年11月26日) 七北田川の自転車道を楽しむ(10年5月3日) 岩切城そして仙台市北東部の古城を学ぶ(07年9月4日) 松原街道(07年8月18日) 漂泊の旅 岩切「おくのほそ道」(06年11月4日) 燕沢の名前(06年3月17日) 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城(06年1月25日) 岩切の寺社をめぐる(06年1月3日) 彩雲?でしょうか(シリーズ仙台百景 34)(2011年5月3日) 富士宮やきそば(シリーズ仙台百景 31)(2010年10月17日) 一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) 仙台ミステリー?風景(06年3月4日) ------------ 平田神社御由来 当神社は今より四百年前、後陽成天皇の御代、 即ち慶長八年十月十四日に、藩祖伊達政宗公居城を岩出山より仙台に移すに当たり、仙台藩士平田五郎政高氏共に随い来たり、平田氏の先住地なる志田郡堤根村(現在の古川市堤根) より当時の苦竹村の現在地に遷宮せりとある。 御祭神は豊受姫神にして五穀を御授け下されし神、即ち伊勢外宮に祭祀する豊受大神の御分霊にて五穀豊穣の守護神なり。 村民は信仰厚く、正保年間の頃より苦竹村の産土神として崇敬又厚く、遷宮者平田氏の姓を とり平田明神と稱されしも、明治四年国家の崇祀として公認され平田神社と改稱、現在に至る。 又、伝えらるる所によれば、平田五郎政高氏は神霊の御加護の下、不思議の神力を得て度々の合戦に抜群の功あり、勇名天下に轟いたという。 伊達政宗公当苦竹村通過の折は、必ず下馬の上参拝せしと記録されている。 境内に秋葉山神社あり、御祭神は火産霊神に して、石碑に明治十一年寅年七月吉日刻とあり。 平田神社祭儀 例大祭 四月第三日曜日 種籾祈願祭 二月二三日 新穀感謝祭 十一月二十三日 神社境内総坪数 弐百五拾四坪拾弐合 石碑 古峯神社・明治二十二年三月十三日 湯殿山・天保四年 慈眼山元亮撰書 原町中建立 蔵王山・弘化四丁末年四月八日 觀世音・嘉永二年三月八日 山神・嘉永三年三月十二日 平成十五年一月吉日 平田神社総代会 遷宮四百年記念謹書 ------------ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.23 08:16:45
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