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2024.08.25
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カテゴリ:宮城

暑さ厳しい夏の日だったが、栗原市築館の照明寺と伊治城跡を訪れた。まずは、照明(しょうみょう)寺。道路沿いに白い説明板。




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伊治城跡と出土品
 伊治城は、古代律令国家が、陸奥国の経営のために設置した城柵の一つである。『続日本紀』により、設置年が神護景雲元年(767)で あることが明らかな数少ない城柵の一つで、その所在地については、江戸時代の中頃から近年に至るまで多くの論考が行われ、その中で築館城生野地区が有力な擬定地であった。
 昭和52年から54年まで宮城県多賀城跡調査研究所が、昭和62年からは築館町教育委員会(現 栗原市教育委員会)が、発掘調査を行った。これらの調査の成果により、築館城生野地区が伊治城跡であることが確定され、平成15年8月に政庁と内郭の区域が国指定史跡に指定された。
 伊治城跡は、外郭・内郭・政庁の区域を土塁と大溝、築地塀で区画する三重構造であり、外郭は東西700メートル、南北900メートルで不正五角形を呈している。外郭は主に竪穴建物跡が検出される。
 内郭は外郭の南東寄りにあり、築地塀で区画される。東西185メートル、南北245メートルで長方形を呈している。掘立柱建物が整然と配され、実務官衙域を構成している。
 政庁は内郭の中央部にあり、築地塀で区画される。東西61メー トル、南北61メートルで方形を呈している。内部は北寄りに位置する正殿を中心に西脇殿や前殿、後殿が配され、三時期の変遷が確認されている。二時期目の建物は焼失しており、宝亀11年(780)に起きた、「伊治公呰麻呂の乱」によるものと推定されている。
 照明寺の住職であった松森明心師が、大正時代から収集した瓦や土器、石器などの遺物は、「松森コレクション」として研究者により紹介され、伊治城跡が築館城生野地区にあったことがほぼ定説となった。
 これらの遺物は、「伊治城跡出土遺物」として、築館町有形文化財 (現栗原市有形文化財)に指定され、栗原市築館出土文化財管理セン ターで保管されている。
 また、外郭南東部の竪穴建物跡からは、発射台と発射装置を持った弓の一種である『弩』の発射装置である「機」が出土した。我が国で初めての発見であり、律令軍制や古代兵器の実態を解明する上で大変貴重であることから、宮城県有形文化財に指定された。
 令和六年六月
 栗原市教育委員会
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次は、伊治城跡だ。国道4号からちょっとだけ入った場所。




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伊治城跡
 奈良時代後半の宮城県北部は、中央政府が積極的に進めていた征夷政策(蝦夷を治める政策)に対し蝦夷の抵抗が高まり非常に不安定な地域であった。伊治城は、このような情勢の中で、栗原郡を中心とした宮城県北部における征夷政策の拠点にするため神護景雲元年(767)に設置されたものである。続日本紀や日本後紀には、延暦15年(796)までの伊治城に係わる記事が見られ、なかでも「伊治公呰麻呂の乱」は当時の政府を震憾させる事件として著名である。これは、この地域の大領であった伊治公呰麻呂が宝亀11年(780)に按察使紀広純と牡鹿郡の大領道嶋大楯を伊治城で殺害し、さらに多賀城を攻撃し放火するというもので、このことはそれ以後の律令政府と蝦夷の長期にわたる戦争の発端となった。
 伊治城跡の発掘調査は昭和52年度から断続的に行われ、城生野大堀の台地北端では外郭北辺の区画施設である大溝と土塁が、唐崎・地蔵堂地区では伊治城の中枢である「政庁」や官衙ブロック(役所の実務を行なう場所)が検出されている。政庁は、東西約55m、南北約60mの広がりをもち、築地塀に囲まれた内部には、正殿・脇殿・後殿・前殿・南門などの建物が配されている。また、調査では呰麻呂の乱によると考えられる火災の跡も確認されている。
 栗原市教育委員会
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なお、最後の「栗原市」はシール貼付なので、この説明看板は築館町時代(平成17年まで)の設置なのだろう。

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最終更新日  2024.08.27 06:51:44
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