カテゴリ:東北
■高橋陽子「地域の人々の活動に生きる隠れキリシタン」 仙台白百合女子大学カトリック研究所編『東北キリシタン探訪』教友社、2024年 所収 ■同書に基づく記事シリーズ ・東北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その1 田束山)(2024年08月31日) ・東北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その2 馬籠村)(2024年09月03日) ・東北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(2024年09月10日) ・今回 東北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その4 大柄沢洞窟)(2024年09月13日) ■特に関連する過去の記事(他の関連する記事は後掲) 米川の戦後史 米川新聞、沼倉たまき、教会活動など(2024年08月16日) 海無沢の三経塚(2010年11月11日) カトリック米川教会(2010年11月9日) 〔前回から続く〕 4 大籠地域とキリシタン 4-4 大柄沢キリシタン洞窟 1973年(昭和48)8月、山の持ち主Nさんが下刈り作業中に、偶然みつけた。道らしきものが続いていることに気づき、右側が崖になる藪を進んでいくと、山の一部に人工的に色が変化している場所を発見。鶴橋をいれるとぽっかり穴が開き洞窟の入口とわかった。 岩穴は高さ1.3m、底辺1m、奥行き10mほど。奥には細断と思われるものが2段あった。灯火用の金属片を岩に取り付けた跡もあった。 その後訪ねる人もなかったが、NHKで放映することになり、一昨年〔おだずま注、鈴木氏の著書は2020年1月の講演がもと〕、持ち主に無理にお願いしてショベルカーで低木を掃っていただき、入口に辿り着いた。50年近く経た洞窟の入口は土砂が崩落していたが、懐中電灯で照らした洞窟の中は、ロウソクの煤で薄暗く、ミサで使用したのか壊れた皿が散乱していた。 〔おだずまコメント。ネットなどで調べると、大柄沢(おおがらさわ)キリシタン洞窟は、大籠教会から西に1.5kmで登米市米川地区にある。登米市の土砂災害危険個所のマップで、国道346号の北側に大柄沢キリシタン洞窟の語がみえる。米川里山だよりのマップ〕 4-5 大籠の地名 大籠の地名には殉教地を物語るところがある。シト(使徒)の沢、トキゾー(徒刑場)沢、デス(仏)、ハセバ(架場)など。ハセバは稲を干すハセ掛けのように死体を並べたということ。殉教を「架けた」と表現する地域もあった。 大籠地区自治会協議会は、殉教と製鉄の里として「大籠の旧跡と名所」という地図を製作。この中にキリシタンに関わる史跡は22箇所もある。一部、米川(狼河原)のキリシタン関係の遺跡と後藤壽庵の碑も掲載されている。 ■関連する過去の記事(田束山) 田束山(2023年05月30日) ■関連する過去の記事(登米市関係) 米川の戦後史 米川新聞、沼倉たまき、教会活動など(2024年08月16日) 気仙沼線・BRTを体験する(2024年05月05日) 香林寺(登米市)(2024年05月02日) 組合立だった名取高校、岩ヶ崎高校、岩出山高校など(2024年03月21日)=組合立だった米谷工業高校 ついに見た!米川の水かぶり(2023年02月09日) ネフスキーと登米(2022年11月9日) 北上川の移流霧(2021年5月22日) 登米の警察資料館(2015年5月24日) 中江その通り(2015年5月1日) 船で脇谷閘門を通過する(2010年11月14日) 華足寺(2010年11月12日) 海無沢の三経塚(2010年11月11日) カトリック米川教会(2010年11月9日) 登米市と「はっと」(08年11月30日) 仙北郷土タイムス を読む(08年10月6日) 登米市出身の有名人と「まちナビ」(08年5月2日) 北上川改修の歴史と流路の変遷(08年2月17日) 北上川流域の「水山」(08年2月11日) 柳津と横山 名所も並ぶ(07年10月26日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.09.13 08:43:19
コメント(0) | コメントを書く
[東北] カテゴリの最新記事
|
|