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音の棲む場所より

音の棲む場所より

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2009.01.21
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カテゴリ:舞台を創る
年度・・・・でいえば?
いえ、旧暦でいえば?
なんにせよ、ものすごい「ギリ」な感じで
「いまさら」感たっぷりなのですが
今「千年紀」を迎えるという「源氏物語」に
少々はまっております。


とはいえ、そこはそれ、鍵盤屋なので
どうしても、物語の通奏低音のように響いてくる音世界に耳をかたむけるわけですが
なかでも、雅な遊興場面をいろどる、箏の音色はかくべつ・・・・。


さてさて、かねてより(←あれ?なんだか口調がいつも以上に古臭いぞ? 笑)
気になる「戯作者(あえてこの言葉を、敬愛をこめて)」である
大野拓史氏
の手による、宇治十帖の物語「夢の浮橋」を観劇してまいりました。

この戯作者、取り上げる題材も「世阿弥」「小野 篁」など、なかなかシブイ。
加えて、この時代の神楽・猿楽・田楽などへの理解の深さもすごい方で。
いつも

「ほほーーーー ほほーーーーーー」と

ただただ、関心してばかり、な新進気鋭の若手作家(いや、もう中堅?)です。

今回も、プログラムの作者言を拝読し、いつもながら
「なんてきれいな日本語・・・」と(作者ファンばか)つぶやきまして。

ちょびっとだけ、引用させていただきますと。

実は源氏をあまり好まなかった。文化的なものに触れるにあたり
常に源氏は意識下におかねばならない「課題図書」のような存在であり
長らく「気の重い」ものであったのが、舞台化するにあたり
どんどん魅入られて行った過程が語られたのちに、この戯曲への言葉として


『具体的に、どのような箇所のとりこになったのか。
それは、実際の舞台をご覧いただくことを以て代え、
自作を語るはしたなさを避けたいと存じますが、
一人の誇大妄想者の解釈の一例として、お楽しみいただければと』


そして、それに続いて「難解と思ったものに楽しみを覚える・・・生きていることは楽しい」

ということから

『このまま、生き続けていれば、
今はさっぱり理解できない、ノーベル賞の「対称性の自発的破れ論」にすら、
喜びを感じることのできる日が、もしや訪れるのかも知れません』


と、ユーモアを持って加えることで、
「そうは言いつつこの一文を載せたことへの照れかくし」をなさってみたり。
そして続けて、演者たちの素晴らしさ・成長を語り
「やはり、人生生きてみるものです」と結ばれる。愛あるコメント。

しかしながら(あれ?やはり口調が・・・・苦笑)
そう語るこの戯作者の作った「源氏」は・・・。あえて「源氏は」と申し上げます。
宇治十帖を描きつつ、精神的には源氏全般を網羅していたと感じましたので。
新たな切り口、斬新な音運びをみせながら、源氏の時代にはびこる「無常感」に
なんと肉薄していたことか・・・・。
舞台はみやびやかでありながら、「現世に生きることの厳しさ」満載で
途中、何度も落涙・・・・。終演後は「顔見ないでください・・・」になっておりました。
そんな私に温かいお手製コーヒーをふるまってくださった御友達に感謝!

この舞台。キーワードは、タイトルに語った
「空蝉」

と・・私は(これは私論です)感じました。

空蝉(うつせみ・・・ぬけがら)ということば、物語中いろいろな形で登場しますが
歌の中では、これに重ねて「現世(うつしよ)」という言葉も語られる。
どちらも、「現身(うつしおみ)」からの派生語かも?とは最近知ったことなのですが
さもありなん・・・・と、お膝ポン!なのでした。

さて
この舞台、都合12~15人の演奏者(なんと全員が雅な装束の役者さんたち!)が
実際に箏を演奏するという場面が登場します。見事なアンサンブルです。
オケの演奏に重ねるので、完全なる平均律であるのは見逃して(うふふ)
そして、「段もの(六段とか)の調べに似てるけど、あれは江戸期?」とかいう疑問も
ちょっと(いやだいぶ・・・笑) 聞き逃したふりをして・・・(うっふっふ~♪)

箏(龍になぞらえる楽器)が源氏物語の中で担っていた精神世界を、
実際に目の前に繰り広げてくれたこと・・・その素晴らしさこそ最優先!と思います。

箏は龍の使いとして、人の心があちらとこちらを行き交う「手段」として
使われた・・・・と・・・聞く(邦楽のセンセ方の受け売り~♪)
平安期に、いわゆる和琴から中国渡来であり雅楽発祥の「箏(そう)」を
独奏楽器として「雅な遊び」に取り入れてきた。もちろん歌の伴奏としても。

この感覚・・・

明治などの「ピアノ(洋琴)」の感覚に近いかもしれないね・・・。
と・・これも邦楽のセンセの受け売りだけれど。

さて、そのころは、もちろん「山○流」も「生○流」もないわけで(笑)
雅楽の箏の爪の形もさだまらず・・・。
で・・・実はそのころ、お箏は「両手で」演奏されていたらしい。
人によっては、爪もつけなかったかも?
でも、これは「逸脱」であろうし、感情表現としては「破」の領域・・・・。


・・・・で・・・その「禁じ手」の奏法を使ってました。見事に。

浮舟(うきふね)・・・と呼ばれる女人(この時代、女子には名前すらないのですよね)

薫の君の思い人「大君(おおいきみ)」の亡きあとに、
大君の異母妹であること、「お似まし(にている)」ことから
宇治の屋敷「八の宮」に引き取られてきたひと。
かの君の「形代(かたしろ):身代わり」としてしか薫に愛されていない存在。
(この舞台では、薫は「愛を伝える方法を知らなかった」とされましたが)
だから大君好みの衣装を纏わされ、かの君が得意とした箏の練習を強いられている。
そこに、最初はいつもの「色好み」として通ってきた匂宮。

その匂宮が、「禁忌を破る」という瞬間(うわ~~、どっきり・・おろおろ)
の場面で、箏の爪を自ら外させ、浮き船に覆いかぶさるようにして
「両手で、しかも爪なしで、思うさま箏をかき鳴らす」
ということをなさる。(きゃ~~~~~~・・・宮さまったら・・・・どきどき)

この時点では、自由の身であり
「自分なら、この女人を『生かす』ことができる」
と自負する匂宮ですが、最後には東宮にたたねばならない。
ここで、東宮(後継ぎの皇子)のことを「ひつぎの宮(字がわからない)」と
名乗らせることに作者の「言葉の持つ音(オン)」に対する鋭い感覚を見ます。
「はるのみや」「みこのみや」とも言いますね。
そこで、あえて「ひつぎ」を使う。
観客の多くが「棺」と変換することなど、作者承知!のことと考えます。
むしろ「してやったり」なのでは?
セリフの中にも「この墓○のような」という表現を「宮中」の表現として多用。
源氏の中では、作者の紫式部が「女人のいうことではないから」と
あえて、さけてとおった「為政者として」の立場を取り上げることで。
薫と宮の行動(原作では「なんていやな男たち!」)に正当性を与えたこと。
それによって、観客の多くが(すべて・・・は難しいですね。いつだって)
舞台冒頭(コメディタッチに始まるのです)で騒ぐ女房たちに混ざって
「宮様~ 宮様~~~」
と、宮にまとわりつく場面に、ぜひとも加わってみたいものだと思わせるという。
これも、「座付き戯作者」としての手腕のすごさなのだと思う(感心・感心~♪)

加えて、冒頭の新嘗祭の様子や「青海波の舞(源氏と頭中将の連れ舞で有名)」
胡蝶の踊り手の様子といい、途中の傀儡(くぐつ)氏たちの神楽舞の場面と言い
さすが!長き伝統をもち、民俗音楽博物館なみの資料を持つ劇団!と感心。
大道具ひとつ、手抜きなしですね。
鳥居の形・背景として使っている調度品・緋扇・装束

ひとつひとつが、「うわ~~どれだけ時代考証を重ねて?」と
それぞれのスタッフの教養の深さにひれ伏す思いでした。

それほど・・・・のことをしながら、あえて音を平均律でもってきたこと。
あえて、「旋法」でなく「調」が目立つ曲、現代的なリズムを持つ楽曲を多用したことが
「この物語は、昔話ではない」という「現実」を伝えているのでは?

と、これも「わたくしのおもい」です。

さて、「和事」への思いは偶然?必然?(これまたこのブログの始まりの繰り返し 笑)
Hちゃんからの「お勉強課題」も、ニホンモノでございまして(時代は違うけど)
ピアノを弾くとともに、楽曲分析・出典調べ・時代背景調べなど行ううちに
なんとも、ステキな出会いが!!!!!!!!!!(うわ~~うわ~~~)

もうすぐ・・・・ありえない「音源」が手に入るかもしれません。

なつかしいセンセの「独身時代」の演奏。
とある作曲家の没後40周年ということでSP盤からの復刻録音がなされていて
その伴奏者の中に、旧姓でのセンセのお名前を発見した時の驚き!
こんなにわくわくして、音源到着を待つのは久しぶりです。

楽しみ~~ ♪(待ってないで、練習しなさい!って・・・・)

・・・・って、えと・・・・(ぽりぽり)

↑、読み返してみたら、なんかものすごい大興奮のせいか
「だ・・・だいじょうぶか?この人・・・」な体を擁しておりますな・・・・(苦笑)

ま・・・いつもながらの「唐人のねごとブログ」として、
捨て置いてやってくださいまし。

ピアノ弾きながら「うっふっふ~~」とやっているアヤシイ人を
ストープの前で「あほちゃうか・・・」と見守るっているM氏です。
加湿器が手前にあるせいか、なんだか「紗をかけた?」みたいになっております。
で、表情が「歌舞伎風」な気がするのは、親バカなせいでしょうか?

手前、M氏と申すもののござんす。
以後、お見知りおきのほどを・・・

M氏と申すものにござんす


で?「私の」フェリックスはどうなったのか?って?(いえ、誰も聞いてませんが 笑)
当然!おつきあいは続いております(←紛らわしい表現を使わないように! 笑)
洋の東西・時代をとわず、「ひとのいとなみ」はいづこも同じ・・・と感じつつ。





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Last updated  2009.01.21 23:26:08
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