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音の棲む場所より

音の棲む場所より

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2009.02.03
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カテゴリ:日々のつぶやき
おには~~っそと~~~~っ!

ふくは~~~~っ!うち~~~~~っ!




OHAGI画伯宅のために、夜中の豆まき決行してみましたん。

あら?鬼さんたちの酒盛りのお邪魔だったかしらん?(うふふ)

それにしても当地方言なのか?「お食い伸ばし」という言い方がありまして
(ひょっとして関西弁?うちはそのへんがあいまいでして・・・とほほ)
御祝い事は伸ばしても良い・・・・ということらしいですね。
で、節分会って「お祝」なの?(←全然、わかってない人)

さてさて、↑のように、ちっともわかっておりませんが(ダメぢゃん)
年中行事ゆえ、節分会の行われる厄王神社へとっとことっとこと
お出かけしてまいりました。
というのは、ご近所の神社で、なぜか?今年から「どんど焼き」が中止。
そうなると、昨年の「かみだなかざり」やら、今年のお正月かざりやらの
いわゆる「えんぎもん」を「おたきあげ」してもらう場所がない・・・。
隣町の厄王さんで、節分のお焚きあげに持ってきていいよ~~♪という
ありがたいお話があり、とっとことっとこと国道を歩くこと30分。
(車の運転ができない『古代人:音夢鈴』なので、歩くのは得意)
すっかりお祭りの用意も整った午後2時半(式典は9時からだったそう・・御苦労さま)

こちらは、お祭り提灯~♪ なかなか風情がありますな。
うしろに映りこんでいるのが、「豆まき」の行われる場所です。
節分会のお祭り提灯♪

そしてこちらが、護摩法要のお焚きあげ@準備中~♪
氏子の皆様、御苦労さまです。
きれいにできてますね~~♪
鬼やらいの護摩法要

式典は9時集合と聴いた時も、「早っ(汗)」と思いましたが
この結界の笹とかも、今日調達なのかな?
もしかしたら、昨日から?(そーいへば、テントは昨日すでに・・・ぶるぶるぶる)
いや~~~、皆様、ホント、御苦労さまです。
御蔭さまにて、本年も滞りなく、春が迎えられそうです~♪

んで、いただいてきた「豆」を、まきまきまき(ぱらぱらぱら)
年の数だけ(うわ・・・かろうじて片手に乗った・・・)はみはみはみはみ・・・。
そして、なんだか年々巨大化しているような(お値段も・・・溜息)恵方巻きを
はむはむあぐあぐあぐあぐ・・・・・あぐっ・・・・(お茶!お茶!)

・・・・って、ところで、ウチは関西に親戚が多いんで
巻きずしの「まるかぶり」というヤツ、「大阪の親戚の行事」と思っていたのですが
いつのまにか、全国区になってますね。
某寿司チェーンのお店で見かけて、
「あら?めずらしい、このへんでも「まるかぶり」のお寿司があるのね」
と、思ったのって、お嬢が小さい頃な気がするから、
少なくとも20年経つかたたないか?
それとも、関東でも前から、こういう習慣のある地域があったのかしらん?

で・・こちらは、むか~~~しむかしからの習慣なので
今日の「おかず」は「いわしの丸干し」でした。
相方はこれが苦手なので(困ったちゃん)、お刺身もちょっと追加。
なんだか、どこからどこまでが「伝統的」なんだか、わからん食卓でした(わっはっは)

ところで、レコード整理していたら、こんな一枚が出てきました。
これがたぶん、私の「和楽器への興味」の原点だと思います。

天野宣 モントルー公演(1980)
鬼の太鼓はどんな音?

このLP、実況なので「すごいこと」になっている。
説明によると、興奮した聴衆が舞台に上がっちゃったらしい。
手拍子(足拍子?)の盛り上がりもたいへんなもの。
おかげで、演奏が中断・・・というか、限界まで続けて終われなくなっちゃったという
そんな場面も録音されている。
でも、解説者によると「これこそ、祭りの原点」ということらしい。
このLPの収録曲(全部、天野さん作曲のオリジナル)は

表:山・香・祭り太鼓

裏:飛龍・寝太郎・鬼


終曲のチョイスからして、本日のご紹介に丁度いいかな?と思いまして。
ちなみに、このLP(←お若い方々!LPガスではありませんよ!レコードです!)
「マスターサウンドによる、画期的な録音」がウリらしく
わざわざ解説書よりも、ずっと立派なマスターサウンドのパンフレットがついている。

そこにはデジタルレコーディング&マスタリングがいかにすばらしいか
「音をいったんデジタル信号にかえることで、再生のときのあらゆる問題から解放した」
と、言葉を尽くして説明されております。

(こちらについては、ご興味ある方、メッセージくださいませ。詳細は長くなるので)

ですが、この盤とこの公演・そして天野宣さんひきいる和太鼓チームについて
解説しているコーディネーターさんの言葉は、ある意味これとは、真逆の観点。

実はこのチームの前に某有名和太鼓チームを招いた。
しかし「完成されすぎ、舞台として作りすぎ」ていたため、
観客の参加の余地がなかった。関心はされたが共感を呼べなかった。
それに比べてこちらのチームは,祭り太鼓の原点を忘れていない。
それが、こちらを招聘した理由である・・・ということだった。

むずかしい・・・と心底思う。


自己の内側に入り込み、音・・・というものを追及していくこと
音が存在したい空間、自分が紡ぐ音にだけ奉仕していく時間を磨き上げたい欲求。

一方で

その空間をともにしている「観客」「聴衆」が作り出す、一種の「気」のようなもの。
うまく言葉にできないけれど
「受け止める人、手を差し伸べる人が送り出すエネルギー空間」とでも言ったらいいのか
その、目に見えない、実際は無音で伝わってくる「何か」と共存すること。

それが一人であれ、100人、1000人であれ、

だれかに聴いていただく、ということで発生する「なにか」
それと、ちょうど良い折り合いをつけていく、ある意味での「セッション」なのかも?
その瞬間を切り取った・・・と歌いあげている一枚ではあるけれど
解説者いわく(えぇ、書いちゃってます)
「演奏者が立ち往生するほどの拍手をカットしたり、あのときの状況を伝えきれてない」
らしいです。

節分の豆まきで、追い出されちゃった、おにちゃんたち(おにいちゃんたちにあらず)
「オニはウチでひきうけた」ということにでもして、

内なる「鬼人(←貴人?奇人?)」と、じっくりお話でもしてみましょうかね。

ではでは、本日(おぉっと!もうすぐ12時! 滝汗)はこれまで! えい!





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Last updated  2009.02.03 23:58:48
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