|
カテゴリ:日々のつぶやき
おには~~っそと~~~~っ!
ふくは~~~~っ!うち~~~~~っ! OHAGI画伯宅のために、夜中の豆まき決行してみましたん。 あら?鬼さんたちの酒盛りのお邪魔だったかしらん?(うふふ) それにしても当地方言なのか?「お食い伸ばし」という言い方がありまして (ひょっとして関西弁?うちはそのへんがあいまいでして・・・とほほ) 御祝い事は伸ばしても良い・・・・ということらしいですね。 で、節分会って「お祝」なの?(←全然、わかってない人) さてさて、↑のように、ちっともわかっておりませんが(ダメぢゃん) 年中行事ゆえ、節分会の行われる厄王神社へとっとことっとこと お出かけしてまいりました。 というのは、ご近所の神社で、なぜか?今年から「どんど焼き」が中止。 そうなると、昨年の「かみだなかざり」やら、今年のお正月かざりやらの いわゆる「えんぎもん」を「おたきあげ」してもらう場所がない・・・。 隣町の厄王さんで、節分のお焚きあげに持ってきていいよ~~♪という ありがたいお話があり、とっとことっとこと国道を歩くこと30分。 (車の運転ができない『古代人:音夢鈴』なので、歩くのは得意) すっかりお祭りの用意も整った午後2時半(式典は9時からだったそう・・御苦労さま) こちらは、お祭り提灯~♪ なかなか風情がありますな。 うしろに映りこんでいるのが、「豆まき」の行われる場所です。 そしてこちらが、護摩法要のお焚きあげ@準備中~♪ 氏子の皆様、御苦労さまです。 きれいにできてますね~~♪ 式典は9時集合と聴いた時も、「早っ(汗)」と思いましたが この結界の笹とかも、今日調達なのかな? もしかしたら、昨日から?(そーいへば、テントは昨日すでに・・・ぶるぶるぶる) いや~~~、皆様、ホント、御苦労さまです。 御蔭さまにて、本年も滞りなく、春が迎えられそうです~♪ んで、いただいてきた「豆」を、まきまきまき(ぱらぱらぱら) 年の数だけ(うわ・・・かろうじて片手に乗った・・・)はみはみはみはみ・・・。 そして、なんだか年々巨大化しているような(お値段も・・・溜息)恵方巻きを はむはむあぐあぐあぐあぐ・・・・・あぐっ・・・・(お茶!お茶!) ・・・・って、ところで、ウチは関西に親戚が多いんで 巻きずしの「まるかぶり」というヤツ、「大阪の親戚の行事」と思っていたのですが いつのまにか、全国区になってますね。 某寿司チェーンのお店で見かけて、 「あら?めずらしい、このへんでも「まるかぶり」のお寿司があるのね」 と、思ったのって、お嬢が小さい頃な気がするから、 少なくとも20年経つかたたないか? それとも、関東でも前から、こういう習慣のある地域があったのかしらん? で・・こちらは、むか~~~しむかしからの習慣なので 今日の「おかず」は「いわしの丸干し」でした。 相方はこれが苦手なので(困ったちゃん)、お刺身もちょっと追加。 なんだか、どこからどこまでが「伝統的」なんだか、わからん食卓でした(わっはっは) ところで、レコード整理していたら、こんな一枚が出てきました。 これがたぶん、私の「和楽器への興味」の原点だと思います。 天野宣 モントルー公演(1980) このLP、実況なので「すごいこと」になっている。 説明によると、興奮した聴衆が舞台に上がっちゃったらしい。 手拍子(足拍子?)の盛り上がりもたいへんなもの。 おかげで、演奏が中断・・・というか、限界まで続けて終われなくなっちゃったという そんな場面も録音されている。 でも、解説者によると「これこそ、祭りの原点」ということらしい。 このLPの収録曲(全部、天野さん作曲のオリジナル)は 表:山・香・祭り太鼓 裏:飛龍・寝太郎・鬼 終曲のチョイスからして、本日のご紹介に丁度いいかな?と思いまして。 ちなみに、このLP(←お若い方々!LPガスではありませんよ!レコードです!) 「マスターサウンドによる、画期的な録音」がウリらしく わざわざ解説書よりも、ずっと立派なマスターサウンドのパンフレットがついている。 そこにはデジタルレコーディング&マスタリングがいかにすばらしいか 「音をいったんデジタル信号にかえることで、再生のときのあらゆる問題から解放した」 と、言葉を尽くして説明されております。 (こちらについては、ご興味ある方、メッセージくださいませ。詳細は長くなるので) ですが、この盤とこの公演・そして天野宣さんひきいる和太鼓チームについて 解説しているコーディネーターさんの言葉は、ある意味これとは、真逆の観点。 実はこのチームの前に某有名和太鼓チームを招いた。 しかし「完成されすぎ、舞台として作りすぎ」ていたため、 観客の参加の余地がなかった。関心はされたが共感を呼べなかった。 それに比べてこちらのチームは,祭り太鼓の原点を忘れていない。 それが、こちらを招聘した理由である・・・ということだった。 むずかしい・・・と心底思う。 自己の内側に入り込み、音・・・というものを追及していくこと 音が存在したい空間、自分が紡ぐ音にだけ奉仕していく時間を磨き上げたい欲求。 一方で その空間をともにしている「観客」「聴衆」が作り出す、一種の「気」のようなもの。 うまく言葉にできないけれど 「受け止める人、手を差し伸べる人が送り出すエネルギー空間」とでも言ったらいいのか その、目に見えない、実際は無音で伝わってくる「何か」と共存すること。 それが一人であれ、100人、1000人であれ、 だれかに聴いていただく、ということで発生する「なにか」 それと、ちょうど良い折り合いをつけていく、ある意味での「セッション」なのかも? その瞬間を切り取った・・・と歌いあげている一枚ではあるけれど 解説者いわく(えぇ、書いちゃってます) 「演奏者が立ち往生するほどの拍手をカットしたり、あのときの状況を伝えきれてない」 らしいです。 節分の豆まきで、追い出されちゃった、おにちゃんたち(おにいちゃんたちにあらず) 「オニはウチでひきうけた」ということにでもして、 内なる「鬼人(←貴人?奇人?)」と、じっくりお話でもしてみましょうかね。 ではでは、本日(おぉっと!もうすぐ12時! 滝汗)はこれまで! えい! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[日々のつぶやき] カテゴリの最新記事
|