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今日は朝からいい天気ですね。
近所の公園を通りがかると大勢の方がラジオ体操を していました。 お年寄りが大半ですが、子供の姿もちらほら。 健康を目指して身体を動かすことはいい習慣ですね。 昨日のニュースで、自動車の自動停止装置や 交差点でスマホが車両接近を知らせるソフトなどの ことを紹介していました。 一見、すごく便利になっていくように錯覚しますが こんな装置をまじめに考える日本のモノづくりを 考えると複雑な気持ちになります。 確かに便利。 しかし本当にこの方向でいいのかな。 目指すは何も考えなくてもいい社会といったところ。 日本の車事情は特に都会ではかなりの過密状態ですが そんな中でみんな、ぶつかりもせずよくバランスを 保って走っているなあと感心します。 ミラーを確認して前後左右の車、人に注意を払い、 あるときは譲り合い、あるときは強気に走っている ようで、人間が運転していることを意識させられ ます。 そんな中で時々、人としての配慮に欠ける人が 運転する車が重大な事故を引き起こします。 まあ、安全装置のついた車に乗ろうという人は基本的に 真面目な人が多いでしょうから、それなりにまともな 運転をする人のように思います。 しかし、そんな真面目な人も安全装置に頼りすぎると その運転は他者への配慮に欠けるものに変わっていきそうな 気がします。 大勢の他人の中に存在する自分を理解できるかどうか。 「なんだか前の車は左に寄っているが、曲がりたいのかな」 「後ろの車があおってくるが、短気な人だな、譲ってしまおう」 「前の車がスピードを落としたが道に迷っているのかも」 「交差点に人影が見えたな、飛び出してくるかも」 車を運転していると無数に感じることがあり、それに 応じて自分の運転を対応させています。 人間の持つこういった感性がだんだん鈍くなり、 一方的な情報に無自覚に反応するだけになっていくことが 怖いですね。 これは、何も車の安全装置に限った話ではなく 現代社会全般にいえることだと感じています。 皆さんはどう思いますか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.10.12 11:44:01
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